米国住宅ローン問題の病根深く景気は戻らず

団藤保晴

2010年10月15日16時43分

 リーマンブラザーズ破綻などの米国発、世界金融危機を引き起こした住宅サブプライムローン証券化がまた亡霊のように蘇って米国経済の首を絞めているようです。今日の日経新聞「差し押さえ住宅 米金融、売却停止広がる」での「物件の競売に際し、書類に不備のあった事例が多いとの疑いが浮上」とは単純な手違いではなく、ローン証券化とその世界規模販売による副作用で、問題物件の所有権者が判然としなくなった事態を指します。

 先週末に米銀行大手バンク・オブ・アメリカが全米で差し押さえ住宅の転売を一時やめると発表し、12日には米金融サービス会社アリー・ファイナンシャルも全米で住宅競売を一時停止しました。「全米50州の司法長官、住宅差し押さえで共同捜査着手−金融機関対象」(ブルームバーグ)は「銀行やローン回収業者が不適切な書類や署名を用いて数十万件にも上る差し押さえを正当化しなかったか、共同で捜査に乗り出す」としています。

 「Market Hack(外国株ひろば Version 2.0)」の「ロボ・サイナー問題とは何か? アメリカの不動産市場、オワタ」がこの間の事情を説明してくれます。

 「マイホームのオーナーが住宅ローンが払えなくなり、住んでいる家を銀行が差し押さえするとき、銀行の担当者が『この物件の所有権はまちがいなくわが銀行にある』という宣誓書(affidavit)に無造作にサインする」「『アンタ、これ本当にアンタの銀行の所有だって、証明できるの』そう異議を唱えたのは不動産名義保険会社(タイトル・インシュアランス・カンパニー)です」不動産登記システムが信頼できない米国で「タイトル・インシュアランス・カンパニーは誰から誰へと所有権が変わってゆく物件の歴史をしっかり追跡、記録しています。言わば『私設不動産登記所』みたいなイメージです」

 「アメリカで庶民がマイホームを購入するとき住宅ローンを銀行から借ります。銀行は殆どの場合、そのローンを第三者に転売します」「転売されたローンをひとまとめにして(証券化)さらに取引するということが行われてきました」「JPモルガンやバンク・オブ・アメリカの担当者が差し押さえを実行するにあたり『もちろん、この物件はオレのものだよ』という宣誓書にサインしたのに対し、タイトル・インシュアランス・カンパニーは『アンタ、この権利はバラバラにされて、転々と転売されてきたのに、これが本当にアンタのものだと、本当に調べたの?』と言っているわけです」「でもこれを調べ始めたらいままで輪切りにされ、転売された証券化商品の歴史をぜんぶ遡らないといけないわけで、『ヒト・ゲノムの解読作業』みたいな膨大な作業が待っているわけです」

 こう説明してもらえると事態の深刻さ、病根の深さが見えます。差し押さえ住宅の競売すらままにならない状況が続けば、住宅市場の回復などありません。景気回復が見通せなくなっているためにドル安は続くでしょう。米国で住宅価格が上がり続け、庶民は値上がり分を消費に振り向けて消費ブームを謳歌していた「昨日」が嘘のようです。

 「米国 住宅差し押さえ状況」(記録)が拾っているブルームバーグからの数字は興味深いと思います。9月に「デフォルトや競売の通告を含む差し押さえ手続き開始件数は前月比3%増の34万7420件で、これは全米で371世帯に1世帯の割合で通知を受けた計算になる」、「手続きの不備を受けた住宅差し押さえの遅れは米金融機関にとって1カ月当たり20億ドル(約1600億円)のコスト」などです。いずれも1カ月の数字なのです。

「財政危機」の真に正しい理解のために−土居 丈朗

アゴラ

2010年10月15日14時19分

昨年、ギリシャの財政危機が顕在化して以降、わが国の財政状況をめぐり様々な見方が飛び交っている。日本はギリシャよりも多く政府債務を抱えている上に、今後高齢化で社会保障費の増大が見込まれ、消費税を増税するなど財政健全化を真剣に取り組まないと日本でもギリシャのような財政危機が顕在化する、とする見方がある。他方、日本はギリシャよりも多く政府債務を抱えているが、ほとんどが国内で消化されているからギリシャのようにはならないので、財政危機をあおるのは増税したがる一派の陰謀で、無駄な財政支出を削減したり「霞が関埋蔵金」を取り崩せば増税は不要だ、とする見方もある。

どうやら、財政危機についての議論は、極論が横行し、冷静な議論が欠けているように思う。
結論から言えば、問題なのは、日本がギリシャのようになるかならないか、財政破綻するかしないか、なのではなく、(誰から見ても金額として巨額に上る)政府債務を誰の負担で返済するか、である。その負担のあり方によっては、政府から行政サービスの便益をあまり受けていない人に過剰な負担を強いることになったり、多くの便益を受けている人で本来その財政負担を負うべきはずなのに、負担を免れることになる人がいたりする。政府がデフォルトしたらどうするか、とか、政府債務が累増してハイパーインフレを助長することになったらどうするか、という心配も巷間にはあるが、それらも政府債務を誰の負担で返済するか、という視点で統一的に見れば、その良し悪しを評価できる。

まず、正攻法の財政運営で、巨額に上る政府債務を返済するとすれば、歳出削減か増税を大規模に行わなければ不可能である。確かに、政府が保有する資産を売却することも足しにはなるが、政府債務の返済財源としては不十分な規模しかない。おまけに、政府保有資産を売り急いで安売りしてしまえば、なおさら返済財源は確保できない。

もちろん、無駄な財政支出をなくすことは、不断の努力が求められる。これは怠るべきではないが、無駄な財政支出を大規模に削減して、増税を回避できるかと言えば、かなり非現実的だ。「非現実的」というのは、社会保障給付や教育費など、そうした歳出削減に反対する人は結構多く、圧倒的多数の人が大規模な歳出削減に賛成してくれるという状況が容易には実現しないという意味である。歳出削減できない(して欲しくない)という以上、その財源は増税で賄わざるを得ない(増税のタイミングは別途要検討)。増税をせずとも、経済成長を促せば税収が増えて、政府債務の返済財源が確保できるというのも、小泉内閣の時代までのお話である。それ以降、特に、麻生内閣、鳩山内閣で政府債務はさらに増えたため、もはや景気がよくなっても、金利が上昇するため、税収増よりも利払費の増加の方が多くなって、放って置いても財政赤字が解消されるわけではない状態なのである。

だから、正攻法の財政運営で政府債務を返済するなら、今を生きる我々が何らかの増税を甘受せざるを得ない(もちろん、歳出削減や政府保有資産売却が多ければ、それだけ増税が小さくて済む)。

日本銀行が国債を引き受ければ、政府はデフォルトもしないし増税をしなくても済む、との見方がある。これは、そもそも正攻法の財政運営ではない。日本銀行が無制限に国債を引き受ければ、どういうことが起こるか。確かに、目下はデフレの状態だから、一見するとデフレを止められるように見える。しかし、一旦日銀券(日本円)の信頼が低下すれば、デフレを止めたどころでは済まず、インフレになる。インフレは、日本で財政状況がさほど悪くなければ程ほどに収まるかもしれないが、そもそも先進国で最も悪い状態であるから、一旦信頼が失われると、ますます信頼が低下する。すなわち、財政悪化下での悪性インフレに陥る。おまけに、ただでさえ、政府支出は、無駄遣いやバラマキが多いと批判されているのに、日銀引受けで国債が増発できれば、ますます無駄遣いやバラマキは増える恐れすらある。

釈明義務違反新判例

町村泰貴

2010年10月15日13時24分

最判平成22年10月14日PDF判決全文

判決文を見てびっくり、愛知学泉大学の教授が定年退職を通告されたところ、この先生は以前に理事から「定年規定は65歳だが、実質はなきに等しく、実際は80歳くらいまで勤務が可能だ」との説明を受けて、それを真に受けていたので、地位確認の訴えを提起したというのである。

原審は、上記のような説明を受けていたことや、実際にも70歳くらいで定年となるような運用が行われていたのであるから、そのような期待を元に生活設計をするのが通常であり、にもかかわらず定年規定に従って退職させるためには、退職1年前に告知しておくことが信義則上必要だと判示し、地位確認は棄却したが未払賃金請求は認容した。

これに対して最高裁は、定年規定による定年退職の効果を主張することが信義則違反となるという点が争点として現れておらず、一審以来の争点が上記の80歳まで勤務するという旨の合意があったかどうかに集中していたのであるから、突然信義則違反を理由に請求を認容するのは釈明義務違反だと判示した。

本事件の特質は、信義則を梃子とした新たな法律構成により賃金請求を認容するというもので、この法律構成を予想することが当事者には困難だという点にある。

すなわち、当然当事者が主張立証すべき事実や証拠の提出や、当然考えられる法律構成を主張していないという場合ではなく、新たな法的観点を裁判所が解釈として採用するという事件であった。そのような場合に、新たな法的観点・法律構成を当事者にメンションし、その観点の元で問題となる要件について両当事者に主張立証の機会を与えるべきだというにある。

こうした考え方は、一橋大学の山本和彦教授が提唱する法的観点教示義務の観念に影響を受けているものと思われる。

KindleストアとiBooksストアから英語の本を出版してみました−斎藤明

アゴラ

2010年10月15日13時17分

はじめに
アマゾンのKindleストアやアップルのiBooksストアなど国際的な販売チャネルを通して電子ブックを販売してみたい、という方は多いと思います。しかし現在のところ日本の読者に向けて日本語の電子本を販売することはできません。日本におけるサービスが開始されていないからです。そこで筆者はKindleとiBooksむけに英語の本を出してみました。以下その顛末を書いてみたいと思います。 KindleとiBooksで電子ブックを発刊するためのファイルの作成および登録手続きについての現状がわかっていただけると思います。

これら販売チャネルから日本の読者にむけて日本語の電子ブックを提供することができないのは、単に制度的な問題、つまり両者が正式に日本でのサービスを開始していない、という理由だけです。技術的には、Kindleデバイス・リーダーもiBooksリーダーも日本語をすでにサポートしています(縦書きは無理ですが)。Amazon Kindle
Kindleストアの販売対象地域は現在、米国と英国のみです。日本から米国のアマゾンにアカウントを作成してKindleデバイスやKindleブックを購入して楽しむことはできます。

はじめにファイルの作成方法について述べます。 KindleブックはAZWという非公開のファイル形式を採用しています。アマゾンが電子ブックビジネスを始めるにあたって買収したフランスのMobiPocket社の電子ブック形式に由来するものです。アマゾンは、単一のHTMLファイル、および複数のHTMLファイルをEpub形式にまとめたファイルをAZW形式に変換するためのオンラインサービスおよびツールを提供しています。第三者が直接AZW形式のファイルを作成することはできません。入稿形式としてHTMLあるいはEpubファイルを作成し、メールでアマゾンに送るか、アマゾンのサイトのサービスを利用するか、アマゾンのツールを使って最終のAZW形式に変換するのです。

Kindle購入時にアマゾンから割り振られるメールアドレスにHTMLやEpubファイルを送信すると、自動的にKindleブックへ変換され、自分のKindleデバイスに送られてきます。また、アマゾンの出版窓口サイト(DTP - http://dtp.amazon.com)でも変換サービスを提供しています。筆者は、アマゾン提供のKindleGen(http://www.amazon.com/kindlepublishing)というツールを用いてEpubファイルをAZWに変換し、アマゾンのDTPサイトで販売を依頼しました。

その際戸惑った点がありました。 Epub形式というのは電子ブックの公開規格のひとつですが、簡単にいうと、HTMLを厳密にXML化したXHTML、およびスタイルシート(CSS)のサブセットをベースにしています。アマゾンは入稿形式としてEpubを受け付けますが、サポートされるHTMLは現在のところHTML 4.0レベルで、スタイルシートもほとんどサポートされません。つまり、ファイルのまとめかたとしてEpubを採用しているだけで、中身のHTMLやCSSはEpubに準拠したレベルにはなっていません。

たとえばスタイルシートによるマージン指定やフォント指定が効きません。アマゾンの出版ガイドには、かわりにHTMLのタグを使ってみよ、と書かれています。 CSSのfont-familyがダメなら、HTMLのタグを使う、ということです。

作成したファイルがKindleで期待どおり表示されるかどうかのテスト方法には、先に述べたメール転送サービスを使う方法のほか、Kindle for PCやKindle for MacといったPC上で利用できるリーダーソフトで試す方法があります。また、アマゾンはKindle Previewerという検証ツールも提供しています。 Kindleの各種デバイス(普通サイズのほか大型DXなど)やソフトウェアリーダの各バージョン(PC/Mac/iPhone/iPadなど)のシミュレーションが行えて便利です。ただし筆者が試したかぎりでは日本語が正しく表示されませんでした(すぐに解決されるとは思いますが)。 KindleデバイスやKindle PCなどソフトウェアリーダーでは日本語が表示できます。

ファイルができてしまえば登録じたいは簡単です。アマゾンのDTPサイトから作成済みのAZWファイル、カバー画像、メタデータ(著者や出版社名など)をアップするだけです。電子本へのISBNの付与は不要です(同じ内容の紙の本がある場合にはそのISBNを通知する必要があります)。

小児科医が考える金のかからない少子高齢化対策 −十河 剛

アゴラ

2010年10月15日12時59分

少子高齢化社会はもはや避けては通れないものとなったが、少子化対策と高齢化対策を関連付けて論じられる事は少ない。

一口に高齢化対策と言っても、介護、老人医療、年金と範囲は広いが、極端な話しをすると多くの人が健康に長生きを出来れば、介護や老人医療はさほど問題にならなくなる。勿論、生物学的に加齢による変化とそれに伴う疾病は当然発生するが、これを最小限に抑え、論点をそこにそ絞る事が出来れば、解決は早い。一方、少子化対策も同様に子育て支援、周産期医療、保育、教育と幅は広いが、単純化すれば、子供が健やかに育つための社会基盤整備にということに尽きる。この様な目標を達成するために必要な施策を予算制限なしに行えれば良いが、しかし、昨今の我が国の経済状況と医療・介護の置かれている状況を見ると、如何に金を使わず、必要な人材を確保して、必要な施策を行うかということが必須である。さて、そこで経済評論家でもなく、政治家でもない、言わば、ド素人の一小児科医である私が金を使わずに、人を集め、必要なサービスを提供する方法を考えてみた。

ドラマ「北の国から」の中で、田中邦衛演じる黒坂五郎と唐十郎演じる高村吾平とが語り合う場面、五郎が近所の者同士がお互い助け合うお礼は物や金ではダメで手間で返す「手間返し」という慣習があると話すと、吾平は自分の住む地域にも同じ様な風習があり、「結(ゆい)」と呼んでいると応じる。ドラマの舞台となった小樽や羅臼に本当にこの様な風習があったかどうかは著者は知らないが、かつての日本の地域コミュニティには「困った時はお互い様」というような地域の中でお互い助け合いながら自助自立していく文化があった。「手間返し」「結」「お互い様」の日本古来の地域文化が復活出来れば、金をかけずに人を集めて少子高齢化対策が出来るのではないか?ただ、一度崩壊したコミュニティを復活させて、人と人とを結びつけることは容易でない。そこでちょっとした仕掛けが必要となる。

介護、子育て支援の世界にポイント制を導入する。人間を長いライフスパンで考えると金はないけど時間はある時期もあれば、金はある程度あるけど忙しくて時間がない時期もある。一生、貧乏暇なしで両方ともない人は人口比率からするとそう多くはない筈である。大抵、定年後は再就職しても、現役時代よりは時間的に余裕が出来るし、年金を貰って仕事も辞めるとさらに時間は出来る。65歳から年金を貰い始め、時間を持て余した方には自分に介護が必要になるまで、介護、育児、教育など、自分が得意な分野、自分が出来る事を出来る範囲で奉仕活動をして頂く。子育てが最も忙しく、大変なのは最初の一年、せいぜい小学校入学位までであろう。専業主婦も子育てに一段楽して働こうと思っても、この不景気で仕事がない。であれば、仕事探しの余った時間に奉仕して頂く。学生も最近は部活動はしない帰宅部が増えているとか、そして、アルバイトをしたくてもこの不景気で仕事もあまり回って来ないとか。であれば、勉学以外の余った時間に奉仕して頂く。

金はないけど、時間はある人は大勢いる。まとまった時間が取れなくても1日1時間でも良い、こういう余った時間に奉仕活動をして、奉仕活動をした分だけポイントを貯めていく。貯めたポイントは介護、育児の分野で利用できる。どの様なサービスにポイントがいくら必要かはある一定の制約の中で自由に決めていけば良い。既存のマイレージや量販店などのポイントと互換性があっても良い。貯めたポイントは親子間の相続のみ認め、その他の譲渡、売買は認めない。時間はないけどお金がある人は今までの介護保険にわずかばかり上乗せした分を払えば良いし、時間が出来れば奉仕活動をしてポイントを貯めていけば良い。実質的に行政が支援して、財政支出が必要になるのは、貧乏暇なしでお金も時間もない人口比率にするとわずかな人達と病気や障害のため働けない人達だけになる。

お年寄りには活動の場が増えるので認知症予防にもなるし、ある程度体力を使う作業もすれば、寝たきり予防にもなる。学校の授業で奉仕活動を取り入れようとする動きもあるが、子供達には奉仕活動を体験する場にもなる。「ポイントがもらえるのだから、奉仕活動ではない」なんて、細かい事には目を瞑ってもらいたい。行政側からすると、予算を増やさずに介護サービスと育児支援サービスの人材を集めて、サービスの質、量を上げることが出来る。かつ、今迄、行政側が負担して来た低所得者や無収入者の介護保険料や保育料などを奉仕活動という形で現物払いして貰えることになる。

専門家や自称専門家は異論を唱えるだろうが、この国の社会保障のあり方と地域社会の在り方を大きく変え得る提案だと思うが、如何だろうか?

済生会横浜市東部病院こどもセンター 医長 十河 剛(そごう つよし)
twitterアカウント Boo1chomeKojiCh

ガラパゴスが問題ではなく、進化の遅れが問題

大西宏

2010年10月15日12時52分

日本が特殊な進化を遂げるガラパゴス島でも、もし進化の速度が海外よりも速く、さらにその進化が世界に波及するのなら、なんら問題にはなりません。

実際、1980年代から1990年代にかけての日本の情報家電は、繊細で、高度な品質や機能を求める住民の住む日本というガラパゴス島で鍛えられたことで、品質と機能のイノベーションがつぎつぎに起こり、世界を席巻した時期もありました。

しかし今はどうでしょうか。大きなイノベーションが海外で起こっても、日本がスルーされることが目立ってきました。日本でイノベーションの普及が遅れるという現象が起こってきています。

だから日本ではイノベーションの動きを体験できず、そのダイナミックな変化に実感が持てません。このブログでなぜアップルやグーグルのことを取り上げることが多いのかと疑問を持つ人もいらっしゃるようですが、海外紙にくらべればまだ取り上げている頻度は少ないほうです。イノベーションがすぐにやってきたのはiPhoneぐらいでしょうか。

特殊なスタンダートで進化した携帯電話が、ガラパゴスだと揶揄されましたが、それは日本の通信市場が特殊であって、その規格を海外に普及させることをしなかったからでしょう。もしimodeが世界標準になっていたら、状況は全く違っていたはずです。

このガラパゴス島は、イノベーションを海外に普及させるパワーを失ったどころか、イノベーションが周回遅れでしか入ってこないローカル市場になりつつあり、それがさらにイノベーションを生みづらくしてきているという構図になりつつあるのではないかと思えます。

さて、SONYインターネットTVの画像を見ると、思わずため息がでるほどの美しさを感じます。4つのサイズが揃っていて、しかも、価格も現在日本国内で売られている大手ブランド製品よりも安い価格になっています。ネット接続できるブルーレイ専用デッキもお値段400ドル(3万円強)と魅力的です。この週末に米国で発売されますが、それが日本でいつ発売されるのかはわかりません。アップルTVも同様です。

世界初のGoogle TV採用HDTV「Sony Internet TV」に触ってみた!

米国ではタブレットPCの好調が伝えられています。このブログでも米国最大の家電小売店Bestbuyが、タブレットPCの売上が伸び、PCの売上を食い始めているとし、クリスマス商戦にむけて、PCやテレビ売り場を縮小後退させ、iPadなどのタブレットPCやアマゾンの電子書籍リーダーKindleなどを売り場を充実させるとしています。また世界最大の小売業であるウォルマートもiPadの販売を開始します。

しかし、日本ではどうでしょうか。BCNランキングでは、発売当初の人気が陰りはじめ、iPadでもっとも売れているWi-Fi 16GBタイプですら、10月にはいって、売れ筋ランキングで大きく落ちてきています。その差は、電子書籍が揃っているか、揃っていないかの違い以外に思いつく原因は見当たりません。

新しくできる重要な「デキルコト」が欠けていれば、それはPCを改善したものにすぎず、実用度からいえば、東芝のdynabook AZのほうが上回っているのではないかとも感じます。実際価格COMのユーザー評価も高いのですが、ほとんど話題になりませんでした。

それはPCの欠点を補う大きな改善ではあったものの、なにか魅力的な「デキルコト」が見当たらなかったからでしょう。

クラウドブックdynabook AZ

SONYのインターネットTVやアップルTV、またiPadの売れ行きの日米格差に共通するのは、日本というガラパゴスの本質的な産業の構造問題を浮き彫りにしていることです。日本には電子書籍はもう古くから存在します。ケータイ小説やアニメもあります。しかしコンテンツを供給する強力なリーダーがサービス業に存在しません。

いくら金をばらまいても、社会に需要が無い以上はどうしようもない

城繁幸

2010年10月15日10時27分

週刊 東洋経済 2010年 10/16号 [雑誌]
クリエーター情報なし

東洋経済新報社

今週号の東洋経済「本当に強い大学特集」、僕もコメントしているので少しだけフォロー。いつも言っているように、日本の教育システムと企業の間には、深い深い断絶が存在する。年功序列で終身雇用ということは、下っ端を雇って何十年もかけて組織内で育成するということだから、専門性など必要ないためだ。極論すれば、入学時点で大学の役目は終わっていることになる。

この断絶の深さを端的に示しているのが、大学への入学者に占める社会人の割合でOECD平均の21.3%に対し、我が日本国は1.8%に過ぎない。要するに、大学というものがまったく社会に貢献していないわけですね。国も大人も若者に「もっと勉強しろ」と言い続けているけど、当の大人がこれじゃあ説得力がないでしょう。大学にいくら予算をつぎ込んでも、この状況は変えられない。だって、学問自体への需要がないのだから。せいぜい建物や施設が豪華になり、職員の給料が上がる程度の話だろう。抜本的解決には、勤続年数ではなく能力で評価する仕組みの導入が必須である。

それがないがゆえに、キャリア戦略上もっとも重要な30代に穴をあけて大学進学する人間などいない(そもそも離職してしまうと再就職できる保証がない)。企業派遣で海外留学させてもらって帰ってきても、別に評価されるわけでもないから外資に転職することになる。

そして、学生も入学時点でゴール到達だとばかりに遊びほうける。やはり勤続年数が重要であるがために、女性は就労と育児がトレードオフになってしまうため、結果的に少子化になる。新卒でこけてフリーターになった人間は、ずっとその後もフリーターにロックされてしまう。

日本の直面する課題のかなりの部分は、この「勤続年数で人を評価する仕組み」に由来する。まあ、ある程度リテラシーのある人なら、薄々感づいているとは思う。でも、この問題はあまりにも根っこが深すぎる。

というわけで、財政も厳しいことだし、思い切って文系学部への公的助成はゼロにして、理系の上位校だけ手厚くすればいいんじゃないか。文系は入試だけやって「東大法学部、入学有資格者」なんてカード持たせてすぐ就職させた方が長い目で見て本人の能力は向上すると思われる。

停止条件か不確定停止期限か

町村泰貴

2010年10月15日10時17分

民法入門の教材に格好の判決である。

最判平成22年10月14日PDF判決全文

単純化していうと、注文者から数次の請負人を通じて孫請負人に仕事が発注された際、下請けと孫請けとの契約では「下請けが元請けから請負代金の支払いを受けた後に孫請けに支払う」という支払リンク条項をおいていた。

ところが、元請けが破産してしまって、下請けに請負代金が支払われなかった。この場合、下請けは上記の支払リンク条項をタテにして、孫請けに請け負い代金を支払わなくても良いか?

もし支払リンク条項が停止条件だとすれば、条件が成就していないのだから、支払義務は発生しない。これに対して支払リンク条項が停止期限だとすれば、下請けの請負代金受領があるかどうかがはっきり下時点で期限到来となり、支払義務は発生する。いずれと解すべきか。

原審は、停止条件と解し、請負代金支払い請求を棄却した。

ところが最高裁は、停止条件と解することが当事者の合理的意思と認めることができないとして、停止期限であると解したのである。
一般に,下請負人が,自らは現実に仕事を完成させ,引渡しを完了したにもかかわらず,自らに対する注文者である請負人が注文者から請負代金の支払を受けられない場合には,自らも請負代金の支払が受けられないなどという合意をすることは,通常は想定し難いものというほかはない。

(中略)

したがって,上告人と被上告人とが,本件請負契約の締結に際して,本件入金リンク条項のある注文書と請書とを取り交わし,被上告人が本件機器の製造等に係る請負代金の支払を受けた後に上告人に対して本件代金を支払う旨を合意したとしても,有償双務契約である本件請負契約の性質に即して,当事者の意思を合理的に解釈すれば,本件代金の支払につき,被上告人が上記支払を受けることを停止条件とする旨を定めたものとはいえず,本件請負契約においては,被上告人が上記請負代金の支払を受けたときは,その時点で本件代金の支払期限が到来すること,また,被上告人が上記支払を受ける見込みがなくなったときは,その時点で本件代金の支払期限が到来することが合意されたものと解するのが相当である

民法入門では、よく出世払いの約束が例として出されるのと一緒である。すなわち、出世払いというのが「出世したときは支払う」という停止条件付債務だとすれば、出世できなければ支払わなくてよいということになる。これに対して「出世できるかできないかがはっきりした時点支払う」という未確定期限付き債務だとすれば、大人となって先行きが見えた時点で支払わなければならない。出世払いの約束というのは、後者と解するのが普通だという説明を受け、学生は軽いカルチャーショックを受けるのである。

本判決の事例では、元請けから直接孫請けに発注すればよかったのに、元請け・孫請けとも入札に参加したという経緯から、その入札参加者を孫請けにするのが具合が悪いということで、間に下請けを関与させた。そして下請けには迷惑をかけないとして支払リンク条項を付けたのである。

従って、関与させられた下請けは名前を貸しただけという意思とも考えられるし、そのことは孫請けも承知していたと考えられる。

最高裁は、そのような事実認定を前提としながらも、有償双務契約の合理的意思解釈として、孫請けが請負代金を受けられなくてもよいということを承諾していたとは考えられないとして、停止期限だと解したわけで、当事者の実際の意思とは異なる「合理的意思」を認めたという側面は否定できないであろう。

【ウォルマート】、設備投資&新店戦略を発表!小型フォーマット店は帰還不能点になる?

後藤文俊

2010年10月15日03時22分

101015ウォルマート・ネイバーフッドマーケット

■ウォルマートは13日、アーカンソー州ベントンビルの本社で開いた投資家向けの会合にて来期の設備投資額を含め都心部に向けた出店戦略等を発表した。

 それによるとアメリカ国内の設備投資額は2011年会計年度(2011年1月31日まで)、75億ドル〜80億ドルを計画しており、66億ドルだった前年より最大20%増加する予定。また、2012年度も改装費を効率化できるとし、75億ドル〜80億ドルと2011年度の設備投資額とほぼ横ばいにとどまるとしている。スーパーセンターについては2011年度中に152店を改装・新規オープン、135店だった前年より13%増加させていることを明かした。2012年度中は155〜165店をスーパーセンターに改装(そのうち45〜50店が新規オープン)させる計画という。また、スーパーセンター業態は売場効率を高めていることで、平均店舗面積はこれまでの5,500坪から、5,000坪程度と縮小される見通しだ。

 注目された小型店展開については、中型フォーマット(840坪〜1,680坪タイプ)と都心部や小商圏向けの小型フォーマット(840坪以下)を最大40店にとどめ、テストしていくとしている。国内CEOのビル・サイモン氏は「中型フォーマットの多くはネイバーフッドマーケットになり、小フォーマット店はあくまでもテスト」と小型店の店名など詳細は明かさなかった。

 オンライン戦略については、7月から始めている「ピックアップ・ツデー(Pick Up Today)」のテストを拡大する。ピックアップ・ツデーは、ウォルマート・コムで購入した商品をフェデックス(FedEx)で受け取れるサービス。受け取り場所をこれまでのロスアンゼルス(26店)とボストン(18店)から、サンフランシスコやニューヨーク、シカゴなどの都市に拡大、フェデックスでの取り扱いが最大800店になるという。

トップ画像:ウォルマート・ネイバーフッドマーケット。1,200坪程度ならこの業態を圧縮することで出店も可能だが、800坪以下になると商品構成から一から練り直さないと難しい。つまり小型店はネイバーフッドではなく、またマーケットサイドでもないかもしれない?

10年9月20日 - 【ウォルマート】、国内CEOビル・サイモン氏の戦略!クリスマスはソックスと下着?

10年9月22日 - 【ウォルマート】、都心部での出店候補地探索が活発!未成功の小フォーマットは諸刃の剣?

⇒こんにちは!アメリカン流通コンサルタントの後藤文俊です。ウォルマートの新規出店に関していうと、シカゴ市が第一目標となりそうです。すでにシカゴのローカル紙は、「ウォルマートが大・中・小型フォーマットを最大24店の出店」と見出しでだされています。ざっくりいって大型は「圧縮された」スーパーセンターで5,000坪、中型は800坪〜1,700坪となるネイバーフッド・マーケット(食品と薬局のコンビネーション・スーパーマーケットで現在180店)です。小型フォーマットは最小で300坪が予想されている店舗です。ウォルマートは2年前、400坪前後の小フォーマット「マーケットサイド(Marketside)」をアリゾナ州フェニックスに4店舗オープンしました。不振が伝えられるマーケットサイドの改良型か、コンビニエンスストア業態の発展型かはわかりませんが、テストといえども後戻りはできない店になるのは確かです。

「対独戦勝記念式典」や「前原外相失言」から見える日本の外交下手〜問題の本質を認識し、時には狡賢く、そして慎重に!

大前研一

2010年10月15日00時00分

中ロ関係
対日戦勝の歴史観を共有
ロシア情勢
メドベージェフ大統領モスクワ市長を更迭
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▼外交下手の日本。前原外相は危険極まりない存在だ
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中国の胡錦濤国家主席は先月27日、ロシアのメドベージェフ大統領と会談しました。

両首脳は戦略的協力関係の全面深化に関する共同声明に署名し、第2次世界大戦終結65周年に関する両国元首の共同声明を発表。旧日本軍の中国侵略に対する中露共闘が、現在の両国の戦略的な協力関係の基礎を築いたと強調しました。

一方、前原誠司外相は先月29日、ロシアのメドベージェフ大統領が北方領土訪問の意向を表明したことを受け、「大統領が訪問すれば、日露関係に重大な支障が生じる」と駐日ロシア大使に伝えたことが明らかになりました。

今回の「対日戦勝記念」という場に日本が参加せず、中国とロシアだけで行われてしまったのが私は残念でなりません。

09年5月にモスクワで開催された「対独戦勝記念式典」には、日本と同じ立場にあるドイツのメルケル首相は参加していました。

日本が参加せず中国とロシアだけで祝杯をあげているのを見れば、必然的に反日運動を盛り上げることにつながってしまいます。

この点を踏まえ、日本としては少々狡賢いと思われても式典には参加するべきだったと思います。

そして過去の歴史を語るとともに、「今は(式典が行われた)旅順にたくさんの日本企業が来ることで繁栄に貢献している」ということをアピールすれば良いのです。

こういう主張をすれば、胡錦濤国家主席にしても無下にはできないでしょう。このような発想ができないのは、日本の外交的な知恵が足りないからだと私は思います。

また前原外相の北方領土に関する発言は、完全に「余計な」もので「逆効果」にしかならないでしょう。

実は、今回のメドベージェフ大統領の北方領土訪問は、悪天候のために実現していません。このままそっとしておけば良かったものを、前原外相が「大統領が訪問すれば、日露関係に重大な支障が生じる」などと発言してしまったのです。

これに対してメドベージェフ大統領が怒って、「何が何でも北方領土を訪問する」という展開になってしまいました。

ここまで相手を興奮させてはいけません。北方領土はロシアが実効支配をしているのだということを認識した上で、慎重な発言をしてほしいところです。

来月APECの会合があり、メドベージェフ大統領は来日する予定です。今後ロシアが日本との関係性をどのようにしたいと思っているのか、この際の訪問順序で推し量ることができると私は思っています。

アフリカの大きさ

青木理音

2010年10月14日23時50分

アフリカの大きさ
一言で言うと、アフリカって超でかいよね、という話だが絵になると分かりやすい。


Look what my good friend KaI Krause has done. The true size o… on Twitpic

真ん中のアフリカ大陸にアメリカ、中国、インド、ヨーロッパ、そして日本が敷き詰められている(日本は南東の端っこだ)。右側に世界の国々が面積順に並んでいる。
A survey with random American schoolkids let them guess the population and land area of their country. [...] the majority chose “1-2 billion” and “largest in the world”, respectively.

左下を見ると、アメリカの学校の生徒にアメリカの人口と面積をたずねたところ、過半数が10-20億人で世界最大と答えたという残念なお知らせが紹介されている。
Even with Asian and European college students, geographical estimates were often off by factor of 2-3.

アジアやヨーロッパの大学生でも二倍三倍はズレがあるということ。その原因の一つは面積を適切に表示しないメルカトル図法にあると主張している。

[画像]

[画像]

これはWikipediaのメルカトル図法のページにある二つの地図だ。上がメルカトル図法、下が面積比を維持するサンソン図法だ。メルカトル図法で緯度の低い地域が小さく表示されることや、赤道がおそらく多くの人が思っているよりも南にあるのが分かる。小中学校などで地球儀や異なる投射法に基づく地図を利用するのも大事だろう。

あーあ!言わんこっちゃない!80円!予算特別枠、1,3兆円から2兆円に軟化!

片山さつき

2010年10月14日23時47分

参院予算委員会、山本一太さんの質問は、なかなか熱血で、よかったですね。

ノーベル賞受賞した、中国の人権運動家、欧米主要国の首脳が、釈放を要請しているのに、菅総理はなぜメッセージを出さないのか、何度も問いださして、ついに、「釈放されることが望ましい」まで言わせたし、グーグルが、尖閣諸島の地図に、中国名まで標記していたことで、自民党がグーグルに抗議したことを受けて、外務省もすべきだ、と申し知れ、前原外務大臣は、午後には、抗議した、と報告しました。

それにしても、菅総理の説明、できの悪い役人が書いたらしくで、「世界には男性と女性が権利が違う国もあり、人権もいろいろ。。。」ですって。

政治犯を迫害してはいけないことは、国際条約にもなっていますよ!

それに民主党女性議員、少しは怒ったらどうかしらん?!!おたくの党首は、女性が人権認められていない国に対しても、その国のルールだから仕方ない、と抗議しないらしいわよん!

これなら、保守の自民党のほうがよほどしっかりしていますわ!

私が代表質問で、がーんと指摘した、「成長のための特別枠、防衛費とか、ひも付き経費が多くて、とても半分になんて切れないし、切るべきではない、、。」

さっそく与党の評価会議で、戦略担当大臣が「1.3兆円はムリなので、2兆円くらいかと、、」

円高は、あの答弁、あのG7では、想定された結果。

林芳正副会長が、景気が踊り場なのか何度も問いつめていたけれど、第?4半期もGDPギャップは25兆円と変わらず、とう総理あが私に答弁してますから、おそらく、次の月例経済方向では、かなり悪化的な表現を入れてくるでしょう。

しかし、蓮ほう氏(かその事務)が、例の写真撮影の許可を申請するとき、「議員活動の説明」と書いた理由を「事務局に言われた」、といいはっていたのを、国会招致された事務局の高官が、真っ向から否定!

衆議院には、撮影許可に使用目的の制限がありません。

私もそうですが、撮影する側がおもに、手続きを実質的ににやっていて、テレビも、記者クラブにはいっている記者が自分の局のほかの番組のをとっていて、簡単にやっていましたよ。

だんだん思い出してきましたが、ファッションかどうかは微妙にしても、衆議院で政治そのものとは必ずしもいえない、メディアのインタビューや、写真撮影、男性議員女性議員ともに、かなり例があります。私は広報局長でしたから。

参院は、ぐっと少ないというかほとんどないようですね。

しかも、写真を撮るときに、場所を下見した、と答弁してましたから、準備も含めてかなり大掛かりな感じを受けました。

西田議員が、私が時間切れできけなかった質問を聞いてくれました。

菅直人首相、権力癒着の約朝日新聞は、「熟議」など戦術用語で野党をたぶらかし、国民をまやかすな

板垣英憲

2010年10月14日23時15分

◆「熟議」という言葉が、国会で氾濫している。「熟議」とは、「多くの当事者による『熟慮』と『討議』を重ねながら政策を形成していくこと」と定義されている。具体的には、政策を形成する際のプロセスのことをいうのだという。

 たとえば、「教育を取り巻く様々な状況の変化を踏まえつつ、課題に立ち向かい、乗り越えるための知恵と実行力を生み出していくためには、教育現場に関わる様々な立場の方による「熟議」に基づく教育政策形成を促進することが求められている」といい、どちらかと言えば、以下のように教育関係の政策形成によく用いられているらしい。

 1.多くの当事者(保護者、教員、地域住民等)が集まって、
 2.課題について学習・熟慮し、討議をすることにより、
 3.互いの立場や果たすべき役割への理解が深まるとともに、
 4.解決策が洗練され、
 5.個々人が納得して自分の役割を果たすようになる。

 教育の世界では、「習熟度別学級」(英才教育というと、差別選別教育と受け取られて、日教組から激しい批判にさらされるのを恐れる文部省初等中等教育局の諸沢正道局長が、昭和50年代初等に発明した姑息な「造語」であった。以後、文部省から今日の文部科学省に至るまで、「習熟」を盛んに使い、その果てに、今度は、「熟議」という新造語を発明したらしい。

◆しかし、地域の教育政策形成プロセスなどに、この言葉を使うのはよいとしても、権力闘争の場である国会で、こんな甘ったるい「熟議」という新造語を振り回すのは、いかがなものであろうか。

 国会は、利害調整の場であり、利権争奪の場であり、そのための政治交渉の場であるから、「熟議」を大前提にして動いているわけではない。「性善説」を基礎とする教育現場で「熟議」されるのは、望ましいとしても、陰謀渦巻き、激しい駆け引きや騙し合いが繰り広げられる政治闘争の場では、基本的に「性悪説」が幅を効かしているが故に、「熟議」などという言葉は、基本的には通用するはずがない。

◆それにもかかわらず、菅直人首相は、所信表明演説で「熟議の国会にしていくよう努めます」と唱えていた。これは、「衆参ねじれ国会」のなかで掲げられた要素が濃厚である。すなわち、うまく乗り越えようとする菅首相の苦し紛れの国会対策用の戦術用語の意味合いが強い。衆参両院ともに民主党が過半数を確保していたなら、こんな言葉は使わないだろう。しかも、「努めます」とあくまで努力目標にしているところが、臭い。はっきり言えば、野党をたぶらかして、国民をまやかそうとする極めて悪質な動機から唱えられた詐術用語と見た方が、正解なのである。「ウソツキ菅首相」がやりそうな、小ざかしい術作であり、決して信じてはならない。

◆それにしても、またもや頭がおかしくなっているのではないかと、疑われるのが、朝日新聞10月14日付け朝刊の社説である。「予算委論戦 熟議の歩みを進めたい」という何かいかにも聖教新聞が好きそうな見出しをつけていて、気持ちが悪い。

 政権担当者、すなわち、一国の首相は、権力の座に就任する前に、将来のスタッフやシンクタンクを総動員して、政権準備を徹底的に行っておき、いざ就任した暁には、それらを粛々と実行に移していくべきであり、政権の座に就いてから、審議会や勉強会や懇談会を設けて、まさに「熟議」してから得られた結論に基づいて、具体的な政策を実行に移しててくというのでは、遅い。平時ならいざ知らず、いまは乱世、大乱世である。めまぐるしく激動する現代、そんなまどろっしい「熟議」をしている暇や余裕はないのである。

 朝日新聞の幹部、記者たちは、月給も高く、貴族的精神状況で庶民生活とは無縁の生活しているらしい。のんびりと平時を楽しんでいるらしく、それならば、戦時は意識できないだろう。いまや共産党幹部でさえ、労働貴族と言われる時代である。それなればこそ、「熟議」などとのんびりしたことを言って欲しくはない。もっと、危機感を持ち、引き締まった顔つきで、権力闘争に日々、励んだもらいたい。待ったなしである。

小沢氏検察審査会の起訴議決は無効となるか

阪口徳雄

2010年10月14日22時50分

≪小沢氏検察審査会の起訴議決は無効となるか≫



小沢氏、15日に国を提訴 検察審査会の議決「無効」

共同通信2010年10月14日 20時04分

 資金管理団体「陸山会」の土地購入をめぐる収支報告書虚偽記入事件で、強制起訴すべきと議決された民主党の小沢一郎元代表が、「議決内容に欠陥があり無効だ」として起訴手続き差し止めを求める国相手の行政訴訟を15日に東京地裁に起こすことが分かった。

 小沢氏の了承を得た代理人弁護士が14日、明らかにした。提訴と同時に、検察官役となる指定弁護士を東京地裁が選任しないよう求める仮差し止めも申し立てる。

 昨年5月の改正検察審査会法施行後、審査員11人中8人以上の賛成が必要となる起訴議決は、兵庫県明石市の花火大会事故や尼崎JR脱線事故、沖縄県の未公開株詐欺事件に続き4件目となったが、不服とする提訴は今回が初めてとなる。

 東京第5検察審査会が4日に公表した議決は、土地購入費約3億4千万円を本来記入しなければならない2004年分報告書に載せず、05年分に載せたなどとする告発容疑に加え、購入費には小沢氏が用意した4億円が充てられた、と認定した。

 4月に「起訴相当」とした1回目の議決で認定した「容疑内容」には、購入費の出どころは盛り込まれていなかった。

(共同)

共同通信の記事によると、小沢氏の2010年4月の起訴議決と今回の起訴議決の内容が違うという点にあり、検察審査会法に違反し、無効という主張のように見える。

検察審査会の議決の取消又は無効確認ができるかどうかは、旧法の検察審査会時代に最高裁は1966年(昭和41年)1月13日検察審査会の議決に対しては行政訴訟ができない(裁判所法第3条にいう「法律上の争訟」に当たらない)と訴えを却下した。

検察審査会法が改正され、2度目の議決の場合は起訴議決を受けた裁判所は起訴に従事する指定弁護士を指名する義務を命じられている。(法41条の9)裁判所から指定された弁護士は、検察審査会の起訴議決にかかる事件について起訴することを義務づけられている(法41条の10)

この議決の名宛人は裁判所に指定弁護士選任を義務つけ、その指定弁護士に起訴を義務付けている以上、行政処分の名宛人は裁判所、指定弁護士であるが、小沢氏はその処分により不利益取扱を受ける以上、その行政処分に原告適格はあるだろう。 従って、旧法とは違い、「法律上の争訟」に該当し、行政処分性もあり、原告適格もあると思われ、以前のように門前払いはなさそうだ。

問題は弁護団の主張するように今回の検察審査会の議決が無効かどうかである。
検察審査会の議決は「検察官の公訴を提起しない処分の当否」について議決することになっている。

検察官の不起訴処分の正確な内容は公表されていないので、何とも評価できないが、第1回議決書のうち「被疑事実の要旨」記載の事実が「検察官の公訴を提起しない処分」だとすると、第2回の「別紙犯罪事実」を起訴すべきとする事実とは違うことはその通りである。

その違いだけで起訴議決は無効になるとは簡単には私には思えない。

この事件で問題となっている公訴事実(=社会的事実)は

河川局の犯罪

河野太郎

2010年10月14日22時48分

検察のFDの書き換えなみかそれ以上の犯罪が行われている。

事件現場は、国土交通省の河川局だ。今度は天下り先の問題ではなく、国土交通省そのものの犯罪だ。

(ちょっと長いけれど、読んでね)

群馬県に八斗島(やったじま)という場所がある。利根川上流の治水基準点になっている。

二百年に一度の大雨が降ったときに、ここをどのぐらいの水が流れるかを計算した数字を「基本高水」という。

昭和33年に三日間で168mmの雨が降って洪水が起きたときの八斗島の実測データがある。これに基づいて、まず基本高水の計算モデルを作る。

次に200年に一度の大雨といわれる1947年のカスリーン台風の雨の量、三日間で318mmを計算モデルに入れると、基本高水は毎秒22000トンと計算される。

八斗島を流れることができる水の最大量は毎秒16500トンなので、あと毎秒5500トンの水を上流でなんとかしないと洪水になるというのが国土交通省の説明だ。これまでに造られた六つのダムで毎秒1000トンを調整できる。八ッ場ダムは大きいので、それ一つで毎秒600トンをカットできると国土交通省はいう。

国土交通省によれば、八ッ場ダムを造ってもあと毎秒3900トン分が足りない。ま、あとダムを10個も造れば...ということらしい。

昭和33年は利根川上流の森は荒れていた。この地域では、戦時中に木炭作りやら何やらで木が伐採され、まだ回復していなかった。

昭和33年洪水を基に作成した計算モデルは、この荒れた森の保水力がベースになっている。

その後、森林は回復し、森の保水力は大きくなった。だから、昭和33年の計算モデルは当てはまらなくなってくるはずだ。

ところが、国土交通省は、1982年洪水のデータをこの計算モデルに入れて計算すると、実測値とぴったり合うからモデルは現在でも使用できるといっていた。

1982年洪水の観測最大流量は毎秒8192トン、国土交通省がそのときの雨量を計算モデルに入れたら最大流量は毎秒8172トンになった。ほらね、ぴったりでしょ。だから計算モデルは今でも有効なんですよ!

実測値毎秒8192トンに対して、計算モデルが出した最大流量毎秒8172トンは、驚くほどぴったりと合う。普通のモデルならばもっと誤差は大きいそうだ。だから、国土交通省が胸を張るのも無理はない。国土交通省の技術力はすばらしい!!!!

刑事コロンボを見ていても、犯罪者が失敗するのは、あまりにアリバイ工作を完璧にしてしまうからだ。

「実測値毎秒8192トンに対して計算値毎秒8172トンはほぼピッタリですよね」とコロンボは言う。河川局長は、「そうだね、この計算モデルは正確なようだね」ととぼける。

次期Operaの「Opera 11」はアドオン機能搭載。さらなるカスタマイズを可能に

Publickey

2010年10月14日22時23分

オペラは、次期バージョンとなるOpera 11にエクステンション機能(いわゆるアドオン機能)を搭載すると発表しました。同社の本社があるノルウェイのオスロで開催中のイベント「Up North Web」にて、同社Chief Development OfficerのChristen Krogh氏の講演でこの新機能の紹介が行われました。



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ビデオで公開された講演内容によると、Christen氏はOpera 11がさらに高速なユーザー体験を提供し、快適にカスタマイズできるブラウザとなるとし、特にロングテールのユーザーに対して、エクステンション機能でそれを実現するとしました。



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そして簡単なエクステンションの例として、Webページ上の任意の文字列を選択すると、Wikipediaを検索できるエクステンションを紹介しています。



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アドビシステムズのOpen Screen Projectに参加




Choose Opera - Opera 11 will have Extensions

企業物価に見るデフレの現状

官庁エコノミスト

2010年10月14日22時18分

本日、日銀から9月の企業物価 (CGPI) が発表されました。ヘッドラインとなる国内企業物価は前年同月比で▲0.1%の下落と、市場の事前コンセンサスであった保合いにほぼミートしました。まず、いつもの日経新聞のサイトから記事を引用すると以下の通りです。
9月の企業物価指数0.1%低下 円高も影響

日銀が14日に発表した9月の国内企業物価指数(2005年=100、速報値は102.8と前年同月比で0.1%低下した。自動車やパソコンなどの販売競争激化に伴う価格引き下げが影響したほか、円高も押し下げ要因になった。

同指数は企業が出荷や卸売りの段階で相互にやりとりするモノの価格を示す。調査対象の855品目のうち、下落したのは398品目で、下落品目数は前月よりも8品目減った。上昇したのは276品目だった。

品目別で下落幅が大きかったのは、情報通信機器(6.2%)、電子部品・デバイス(4.2%)、電気機器(3.4%)、輸送用機器(2.6%)など。上昇幅が大きかったのは、非鉄金属(7.4%)、鉄鋼(4.9%)、石油・石炭(3.0%)などだった。

次に、企業物価指数の前年同月比上昇率のグラフは以下の通りです。上のパネルは国内・輸出・輸入別の計数をプロットしており、下のパネルは需要段階別に国内品の素原材料・中間財・最終財となっています。下のパネルは内閣府の「今週の指標」 No.968 のマネだったりします。

企業物価の推移

見れば分かりますが、2007年から2008年における原油などの商品価格の大幅な上昇とその後の下落に伴って、輸入物価が乱高下する一方で、国内物価は当然ながら輸入物価にやや遅れつつもそのインパクトを生産や流通段階で吸収して、物価変動幅は小さいながらも同様の方向性を示し、最近では今年に入ってからほぼ前年同月比でゼロ近傍の上昇率を続けています。下のパネルから、物価の変動率は 素原材料 > 中間財 > 最終財 となっているのが明らかに読み取れます。当然です。ただし、ここで注目すべきであるのは、ホントは 素原材料 > 中間財 > 0 > 最終財 となっており、素原材料と中間財はプラスの物価上昇率であるにもかかわらず、最終財段階ではマイナスのデフレになっているということです。需給バランスとそれに基づく競争が反映されていると受け止めています。

資源価格のプッシュがないと国内物価がプラスの上昇率を示さず、需要段階別では最終財ほど下落率が大きいということは内需の不足を示しています。いかにして物価上昇率をプラスにするか、中央銀行の腕の見せどころであると私は考えています。

小沢元代表の問題―いかなる結論であれ公党として説明責任

岡田克也

2010年10月14日22時18分

日曜日(10月10日)の「日曜討論」(NHK)でも少し話題になりましたが、小沢元代表の問題について、少し話をしたいと思います。

この問題は大きく言って2つあります。1つは、国会での対応。つまり、政治倫理審査会(政倫審)に呼んでお話をしていただく。社民党は、そのことを主張しています。あるいは、証人喚問をしてお話をしていただく。社民党以外の野党は、そういった主張をしています。そういったことについて、どう考えていくかということです。

菅総理も国会答弁されていますが、小沢先生ご自身は、「国会で決めていただければ、それに従う」と言っておられ、まさしく与党・野党の間で何が必要かについて、しっかりと議論する必要があると思います。

ただ、「日曜討論」でも申し上げたのですが、国会に呼ぶべきだと野党は言いますが、じゃあ何を野党は聞くのかが、必ずしもはっきりしません。そして、すでに強制起訴が決まり、法廷で争うことと重なってしまうことになると、「司法権の独立」との兼ね合いも出てきます。

そういったことについて、どう整理をして、国民の皆さんの「説明をしっかりしてもらいたい」という要望にどう応えていくのかについて、野党は真剣に議論をしてもらいたいと思います。

そして、これはいつものことですが、私はもちろんそのことについて方向性は何も述べておりません。

私は、党内でしっかり議論をしてもらうための行司役として自分自身を位置付けており、最終的には私の責任でまとめなければいけませんが、それまで私の考えを言うつもりはありません。

しかし、メディアの中には、私が政倫審ということを考えているのではないかと勝手に書かれます。そういうメディア、新聞がいくつかあるのですが、これは根拠が全くないと申し上げておきたいと思います。

そして、もう1つは、党としてはどう対応していくかという問題です。党規約上は、「処分」とか「措置」といったことが規定されていますが、それに該当するのかどうかということです。

それについては、特に党規約上は、役員会で発議をして、その発議に基づいて常任幹事会で決定します。規約上こうなっていますので、まず、党の主要メンバーである役員会の場で発議をすべきかどうか、発議をするとしたら、どういう理由で、どういった内容について発議をするのか。

つまり、「処分」とか「措置」の具体的な中身などについて、まずは役員会メンバーの皆さんのご意見をお聞きしたところです。これについても、役員会の中でしっかりと議論していかなければならないと思います。

私はいつも申し上げているのですが、小沢先生は党の代表や幹事長として今日の民主党を築くにあたって大変功績のある方です。したがって敬意を持って議論していかなければならないと思います。

もちろん、だから特別扱いすべきだと申し上げているのではありません。しっかりとした議論が必要だということです。

そして、民主党に求められているのは、どういう結論に至ったとしても、そのことについて、なぜその結論になったのかということを、公党としてきちんと国民に説明するその責任があるということです。

そこがあやふやであると、やはり民主党に対する国民の信頼というものは離れてしまうと思います。

静かに、しっかりとした議論を行っていきたいと、幹事長としてそのように考えています。

※ブログの動画版はこちら

菅政権の歴史認識への違和感

中川秀直

2010年10月14日16時31分

午前の参院予算委員会の審議の中で、今回の尖閣諸島問題をめぐる失政を弁護するために、日露戦争後の日比谷焼き討ち事件の例を持ち出す答弁があった。

この歴史の援用は極めて不適切である。

日露戦争後については、時の為政者には戦勝気分にのって戦略目標が国の現実を越えないようにする冷徹な国益の判断があった。目標を持てる手段にあわせる戦略性があったのである。

しかし、菅民主党政権の今回の失政は異なる。戦勝気分からのスタートではない。民主党政権の判断の混迷から事態がどんどんエスカレートし、あたかも国会対応という政権基盤維持のためだけに次々に譲歩を重ねているのではないかとの危機感が国民にあるのである。

国会対応のため、日中首脳会談を開くため、つまり、政権の利益のために譲歩をしているのではないか、という不安なのである。

そのことを菅総理が認識をしなければ、国民は政権の外交姿勢とバランスをとるためにより強硬な姿勢を維持せざるをえなくなるだろう。

日本の経済力が圧倒的に優位だった時代の天安門事件直後の大人の対応と今は全く違う。その認識を菅総理はもっておられるだろうか。

「コンテンツがお気に入りですか?ならば資金援助して」というビジネスモデル

ITmedia オルタナティブ・ブログ

2010年10月14日16時04分

このビジネスモデル、アメリカのNational Public Radio (NPR)が長年採用しているもの。

NPRは民間のラジオ局と異なり、収入を広告に頼るのではなく、企業および個人からの募金に頼っている。毎年春と秋、ある一定の目標金額を設け、その目標に達成するまで募金活動(pledge drive)を行っている。現在秋のpledge driveの真っ最中。

時々、「ある匿名の個人が、$xxxを上限に、皆さんの寄付額と同額を寄付してくれます。この番組放送中に、x人の人が一人当たり$xx寄付してくだされば、その倍の寄付額が集まります。」というようなアナウンスがある。自分の寄付金が倍になるならと、重い腰をあげるきっかけになったりする。非営利団体だから、その寄付金は控除の対象となる。

家事をしながら、あるいは車の中で、私が聴くのはもっぱらNPR。そのコンテンツに価値があると認めている。でも、Pay per Viewのように事前に支払うのはいや。かなり長い間ただで聴いてきた。そろそろ良心が痛み始めたので、数年前から、わずかながら自分で納得できる金額を寄付し始めた次第。NPRによると、寄付金の半額以上を、多数の個人による小額寄付金が占めているという。

このビジネスモデル、日本でも成立しないかな、などと考えてみる。日本にはNHKのラジオ放送があるから、NPRのような草の根ジャーナリズムが入り込む余地などないのだろうか?
■プロフィール

佐川明美

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草月流生花講師。證券アナリスト、プロダクトマネージャーを経て、米国にてソフトウェア開発会社起業、CEO就任。2007年、同社買収に伴いフリーに。

「弱腰」批判は菅政権を助ける

宮島理

2010年10月14日15時47分

 尖閣事件をめぐっては、相変わらず「弱腰」だけが論点になっている。「弱腰」批判は、「現実主義者ぶる無能者」を図に乗らせるだけだ。国会で自民党が菅政権を「弱腰外交」と批判していることに対して、仙谷氏は案の定、次のように反論をしている。
「仙谷由人官房長官は13日の記者会見で、沖縄県・尖閣諸島付近での中国漁船衝突事件を巡る『弱腰外交』批判に反論した。(略)日露戦争のポーツマス条約への不満で暴動が起きた日比谷焼き打ち事件を引き合いに『(船長の)釈放だけ、逮捕だけ取り出し声高に叫ぶのはよろしくない』『媚中派という言い方はもうやめたほうがいい』と『弱腰』批判に懸念を示した」(毎日新聞
「現実主義者ぶる無能者を排除せよ」でも書いたように、菅政権は「弱腰ですらない、ただの無能」である。無能政権が、「責任ある弱腰外交」を実践した小村寿太郎に自身をなぞらえるのは、自己陶酔も甚だしい。一方、毎日新聞でも菅政権を擁護するコラムが掲載されている。
「尖閣諸島沖で中国漁船が日本の巡視船に衝突した事件処理は『戦後最大の外交敗北』だ──。自民党の小野寺五典氏が9月30日の衆院予算委で追及した。(略)日本中が冷静さを欠いている。

 もしも小野寺氏が外相なら、船長を起訴して裁判にかけたのか。それで『外交勝利』したのか。中国は必ず対抗措置をとる。(略)武力衝突の可能性もあった。

 だが、船長が釈放されると、あうんの呼吸で菅直人首相と温家宝首相の廊下懇談が実現し、あうんの呼吸で、漁業監視船が現場を離れ、東シナ海の緊張は緩和した。日本が島の実効支配を失ったわけではない。危機回避の外交がなんとか機能したではないか。このどこが『戦後最大の外交敗北』で『不適切』なのか」(「どこが外交敗北だ」
 典型的な「現実主義者ぶる『くそリアリスト』」の屁理屈である。

 そもそも、「武力衝突の可能性もあった」のに、対中「強硬」路線をとったのは菅政権だった。自分で勝手に火をつけておいて、あわてて火消しを試みるものの、まだまだ火がくすぶっているというのが現状だ。「火をつけたお前が悪い」と批判されているのに、「じゃあ、あのまま火をつけっぱなしでよかったというのか」と逆ギレしているのが菅政権とその擁護者ということになる。「ひとたび火をつけたなら、相手側に火がいくまでは覚悟して戦い抜かなければならない」という当たり前の理屈がわからない人たちである。そのくせ、「危機回避の外交がなんとか機能したではないか」と開き直るのだから、自己弁護とは本当にみっともない。
 
 しかし、このような「現実主義者ぶる無能者」の自己弁護を堂々と許しているのは、自民党などが菅政権を「弱腰」としか批判できていないからである。本来であれば「火をつけたお前が悪い」(あるいは「ひとたび火をつけたなら、相手側に火がいくまでは覚悟して戦い抜かなければならない」)と批判すべきところを、「別に私らにも覚悟があるわけじゃないけど、とにかく火を消そうとしたのは毅然としてないからケシカラン」としか言えないのだから、そこには何の説得力もない。はっきり言って、前原氏と同レベルの「覚悟なき毅然外交」である。
 
 民主党は「くそリアリズム」に開き直り、自民党は「覚悟なき毅然外交」を無責任に唱える。「弱腰」批判と自己弁護だけが国会で空虚に響くこの状況は、与党も野党も方針を示さない、決断をしないという、末期的政治状況のあらわれでもある。
 
 今年1月に、「自民党が民主党を『(国家)社会主義』としか批判できない理由」ということを書いたが、内政においても自民党は民主党を攻めることができない。それは、与党も野党も、リスクをとることを避けているからだ。
 
 決断をすれば、必然的に一定層からの反発をくらう。それが特に、既得権に関わる改革だった場合には、政治力もあり、組織化された層から多大な反撃に遭う。そういう反撃を覚悟で、持続可能な財政や長期的な成長のために断行されるのが「責任ある改革」である。

10月12日の予算委員会

石破茂

2010年10月14日15時03分

 石破 茂 です。

 衆議院予算委員会初日(10月12日)、一時間半の質疑に立ちました。
 鳩山内閣時代の、総理の無内容で冗長かつ不誠実極まる答弁による「単なる時間の無駄遣い状態」よりは遥かにマシでしたが、もう少し正面から議論に臨んで欲しかったとの思いは禁じえません。

 私の質問はよく「質疑というより学校の講義のようだ」と評されますが、単に政府を攻撃するだけではこの国は少しもよくならない。しかし、質問に答える意欲や誠意がいくらあっても知識がなければどうにもなりません。

 知らないのであればきちんと説明して、少しでも改善を見るように促すのも野党の責任と思っています。しかし、これを「お前たち知らないだろう、教えてやる」というような雰囲気にならないようにするのがとても難しい。

 今回の尖閣海域における事案は、日本人が、「中国とはいかなる国なのか、領土とは何か、外交とは、安全保障とは何か」を考えるよい機会になるはずのものでした。

 政府はひたすら「政治介入はなかった」ことを強調しますが、この姿勢は実によくありません。どんなにこちらが正面から本質的な議論をしようと思っても「あれはあくまで検察が独自に判断したことで、政府は一切あずかり知らない」と言われてしまえばもうどうにもなりません。何故政治的責任を明らかにせず、本質的な議論を回避するのか。私はこの点が一番気に入らないのです。これは日本の統治機構そのものにかかわる問題なのですから。

 「面倒な問題は一切仙谷官房長官が答弁する」とのスタイルが定着しつつあるようです。
 弁護士出身ですから当然法律的知識もありますし、なにより「答弁の内容が政治的におかしかろうが法律的に矛盾していようが、はぐらかしであろうが、その泥は一切自分が被る」という強烈な意志が感じられ、これは正直かなり手ごわい。仙谷長官が正面から議論に応じるよう、次回の質疑では、質問の内容やスタイルを相当に変えていかねばならないと思ったことでした。

 一時間半の質問、というのは簡単そうに見えるかもしれませんが、実は準備に相当の時間を費やします。

 刑事訴訟法なんて学生の時に少し触ったくらいで今回改めて読み直してみたのですが、ひととおり理解するのに随分と苦労しました。ましてや検察庁法など読んだこともなく、久しぶりに学生の時のような気分を味わいました。

 ただ、昨日の質疑の最中に、民主党議員から発せられる野次には随分幻滅させられました。

 野次も機転の効いたものや本質を突いたものはそれなりに意味があるのですが、「何故ASEMに中国語通訳を同行させなかったか」と問うと「英語さえ通じればいいんだ!わざと向こうが何を言っているかわからないようにするのが外交だ!」と叫び、「起訴便宜主義の立法趣旨は」と問えば「質問通告がないのに答えられるはずがないだろう!」と野次る輩は一体何か。

 そんなことが外交であるはずもなく、今回の尖閣海域事案の一番のキーワードが起訴便宜主義なのに、そんなこともわからずただ野次っている議員のレベルは相当に低い。なんでこんな人たちを有権者に選ばせてしまったのか、自民党は大いに反省しなくてはなりません。

 初日は、石原、石破、河野の組み合わせでしたが、二日目以降はおもにシャドー・キャビネットのメンバーを並べました。まだそんなにマスコミに売れてはいないけれど、自民党には実力のある議員は少なからず居ます。

 現在の民主党政府の大臣と対峙させ、やはり自民党のほうがよいと有権者に実感していただかなくては自民党に対する支持が回復するはずもありません。
 やたらと威張ってみたり、恫喝してみたり、ただ付き合いの良さや面倒見の良さが売りだったりする議員が幅を利かせているようでは、やはり自民党は変わっていないのだな、と思われても仕方ないのではないでしょうか。

功労者である騎士団長の解任と、王国側の事情

切込隊長

2010年10月14日14時44分

 一般論ではあるが、実績もあり能力的にも評価が高い騎士団長の待遇を巡って、お家騒動が勃発するというのは良くあることで、とはいえ、当事者になってしまうと本当に明日の光を探して彷徨い歩くことになるわけです。

 平たく言うならば、だいたい次のような感じ。

● 古き良き成長産業と、市場の成長に合わせて大きくなる会社

 ブームを捉えて、ヒット作品を出し、成長する産業の中で一定のパイを持っている会社。業界固有のゴールデンルールを遵守し、シェアを失わなければ、市場の成長と共に会社は大きくなり、利益も出る。

 高度成長時代、それほど経営手腕が優れなくても経済が成長していれば企業は大きくできる。むしろ必要なことは起業を行いリスクを取ることであって、そこの賭けに当たりさえすれば、一部上場にまで持ち上げることができる。

● 成長の行き詰まりと経営者の高齢化、幹部の茶坊主化

 どんな成長市場でも、やがて停滞し、伸びは鈍化する。かつて通用していたゲームルールは利益をもたらさなくなり、会社は体制の変遷を求められる。

 経営者は、事業の成功に酔い痴れ、それが己の経営手腕によるものだという錯覚を持ち、場合によってはワンマンとなって幹部が茶坊主化して状況の変化に対応する能力も意欲も失われていく。

 往々にして、経営者は高齢化しており、新しい事業への理解も取り組む意欲もないので、社内から適切な提案が上がってきても、モノの良し悪しを判断できない。まだ売り上げの立っていない事業は「いま」儲かっているわけではないという理由で、実施を見送ってしまう。

● 環境の大幅な変化と、資本の集積

 経済全体が成熟化してくると、大資本による効率や、より革新的な技法を実現するための費用がかさんでくる。必然的に、大規模大集積大広告宣伝大開発費大作を実現しなければならない大資本をハンドリングする事業化と、国内定着ニッチ短期間低技術多品種量産お手軽を実現する機動力ある事業化の二つの道に分かれる。

 すでに経営環境が大幅に変化し、事態が悪化しているにもかかわらず、戦場の状態を理解できていない大本営は、本当の戦地の情報を経営者に上げない。誰よりも苦戦を知り対策を講じる知恵を持ち局面を打開できる前線の騎士団長がいるにも関らず、宮廷では年老いた国王と取り巻きが「人事ごっこ」をしており、また人事の要諦は過去の経緯で熟達しているため本社が完全に伏魔殿となる。

● 騎士団副長の切り崩しと、騎士団長の孤立化

 王国は長く経てば経つほど、しきたりができる。騎士団長は往々にして王国に領土を求め、王朝と対立する。宮廷には必ずそういう叛乱に陥りそうな事態を収拾することだけに熟達したCFOが銀行などを経てやってくる。彼らは、叛乱する者そのものを懐柔するのではなく、必ず対抗する者に支援する部下や取引先やマスコミを取り込んで孤立させる。

 孤立は判断を狂わせる。正しい情報が入らなくなるからだ。思惑から出た情報しか伝わらなくなり、誰を信じたらいいのか分からなくなる。空虚な自信の殻を被ることもあれば、自問自答を繰り返して内向きに陥ることもある。しかし、戦場での優秀さは誰もが知るところであり、王国以外の世評は決して低くはならない。

● 叛乱の失敗と放逐

 前線を支えていた人が独立するには、前線に領地を必要とする。戦場しか、彼らの能力を発揮する場所がないからだ。

 しかし、戦場は単体で存在しているわけではない。戦いにいくら強くても、補給を司る官僚機能がない限り、資金的な面からも技術的な面からも戦線そのものを維持することはできない。戦いに強く、勝ち続けているから自分に自信を持ったとしても、その自信の根拠を支えているのは王国の組織なのだ。

なぜ「紙か電子か」なんだろうか

山口浩

2010年10月14日14時05分

電子書籍に関する話題が盛り上がっている。アマゾンのKindleやアップルのiPadに遅れじと、国内各社も相次いで端末を発売するとぶちあげたり、事業参入(とか再参入とか)を発表したり。とはいえ業界人の皆さんの中には、編集者の役割はどうなる、街の書店はどうなる、みたいに戦々恐々だったりするようにみえる。紙の本は滅ぶのか、いいや紙には電子書籍にないよさが、文化を守るのだ、とか鼻息荒く主張する方もたくさんいて、賑やかといえば賑やか。

まあここまでは枕。個人的に違和感が、っていう話を以下ひとくさり。

違和感の理由はいろいろあるにはあるが、つきつめると、ユーザーの姿があんまり見えてこないように感じられるからじゃないかと思う。もちろんこれはある意味それほど不思議でもなくて、メディアで話題に上るKindleやiPadも、現時点では日本語の本が出回っているわけではないし、国内メーカーの新端末もまだ発売されていない。読もうにもブツがないから、ユーザーになりたくてもなれない人がたくさんいるわけだ。

とはいえ、別に電子書籍がないってわけじゃない。日本で電子書籍といえば、今の主流はいわゆるケータイ小説とかマンガとかってことになるんだろう。これはけっこう売れてるはずだ。最近はiPhoneみたいなスマートフォンが増えていて、そこでは本がアプリとなって販売されてたりする。まだ量としてそれほど多くはないだろうが、中にはけっこう売れてるものもあるんじゃないかと思う。一方で、一部にはいわゆる「自炊」をせっせとやってる人たちもいる。もちろん、日本人だってKindleやらiPadやらで英語とかの電子書籍をバリバリ読んでる人はいるだろう。

要するに、ユーザー側にはそれなりの意見をもってる人がそれなりの人数いるはずだ。にもかかわらず、聞こえてくるのは、事業者の側からの、やれビジネスモデルだの権利処理だの規格争いだのの話ばかり。文化を守ろうとかいってる人たちだって、よく見たら多くは供給者側だ。利用者の立場に立った発言がほとんど聞こえてこない。正直いかがなものかとも思う。高校野球の女子マネージャーだって「顧客を創造する」とかいってる時代に、「創造」どころか「想像」すらしてないんじゃないか?とか思ったりするわけだ。

電子書籍については、かつて、一利用者の立場から、こんなものがほしい、と書いたことがある(リンク)。2004年で、今の「ブーム」のひとつ前の頃で、専門書やら論文の類を大量に持ち歩きたい、という趣旨。実際持ち歩いてたりしたので、荷物をなんとか軽くしたいと思っていたわけだ。基本的に、今もそれほど考えは変わっていない。テキスト+静止画にこだわる必要はないんだな、もっといろいろなコンテンツが考えられるな、と考えるようにはなったが。実際、今はPDFをKindleDXで持ち歩いていて、併せてPCやiPhoneからDropboxとかEvernoteなんかも使ってたりするので、当時の願望は多少は実現したことになる。でも日本の書籍はまだほとんどそのまま持ち歩いたりしてるが。

自分が特殊な立場・嗜好だというのは理解してるつもりだが、一応それなりの本好きでもあるので、多少は敷衍して考えられる部分もあると思う。電子書籍をそれ用の端末で読みたいなんて考える人は、少なくとも現段階では、ガジェット自体が好きな人を除けば、かなりの本好きか必要に迫られて読まざるをえないかのどちらかで、いずれにせよ本を比較的たくさん買い、読む人であろうと考えるのが自然だ。独断でいえば、そういう人は、電子書籍の便利さとともに、紙の本の(別の意味での)便利さや、紙ならではの風合いみたいなものの価値をも認める人である可能性が高い。しつこいが、少なくとも現段階では。

件の女子マネージャーならこういうんじゃないだろうか。「本を読む人が求めるのは、本そのものというより、本を読むという行為、本の世界にひたったり新たな情報を得たりしている自分だ」、と。そこから出てくるのは、本を読むという行為を、制約条件のできるだけ少ない状態で楽しみたい、という願望だ。

つまり、紙か電子かは第一義的な問題ではない、ということだ。

日経社説はデフレ不況下の元金負担の恐ろしさを正しく認識していない

木走正水(きばしりまさみず)

2010年10月14日13時59分

 14日付け日経新聞社説には考えさせられました。
企業の“倒産先延ばし”は長く続かない
2010/10/14付

http://www.nikkei.com/news/editorial/article/g=96958A96889DE3E4E1E0E4E4E3E2E3E6E3E2E0E2E3E28297EAE2E2E2;n=96948D819A938D96E38D8D8D8D8D

 社説は冒頭から「景気実感が厳しさを増しているのに、企業倒産は低い水準にある」ことを「素直に喜べない」としています。

 景気実感が厳しさを増しているのに、企業倒産は低い水準にある。

 民間調査会社の東京商工リサーチによれば、2010年度上半期(4〜9月)の全国の倒産件数は6555件と前年同期に比べ15.2%減った。上半期の倒産件数が7000件を下回ったのは4年ぶりだ。同業の帝国データバンクの集計では、倒産件数が前月までに13カ月続けて前年同月を下回った。

 6月から改正貸金業法が完全施行され、消費者金融がお金を貸しにくくなった。中小事業主の資金繰りが苦しくなると懸念されたが、倒産の増加にはまだ至っていないようだ。

 倒産が少ない舞台裏には、からくりがあり、素直に喜べない。

 からくりの一つは亀井前金融担当相の肝いりでつくられた「中小企業金融円滑化法」だと指摘します。
 1つは、亀井静香前金融担当相の肝いりでつくられた「中小企業金融円滑化法」だ。企業が借りているお金の期限が来て返済猶予を求めた場合、銀行はそれに応じる努力をせよと定めた。昨年12月の施行から今年6月末までに、同法に基づく猶予は累計で39万738件、13兆3959億円に達した。

 自見庄三郎金融担当相は13日の衆院予算委員会で、円滑化法について来年3月の期限延長も視野に入れ取り扱いを検討する考えを述べた。

 しかし、円滑化法を利用している企業の倒産は9月末までに30件発生した。地方の建設業や小売業を中心に返済猶予を2度、3度と繰りかえしてもなお、銀行との間で事業計画の練り直しが進まない例が増えた。

 展望のない企業の経営破綻のリスクを銀行が過度に抱え込めば、金融システムが再び不安定になりかねない。円滑化法は延長しないのが筋。もし延長を議論するなら、借り手の実態をきちんと調べるべきだ。

 続いてもう一つのからくりは信用保証協会の「景気対応緊急保証」にあると指摘します。
 倒産が少ないもう1つの理由は、信用保証協会の「景気対応緊急保証」だ。赤字の中小企業でも借り入れの保証を受けやすくしている。利用額は先週末現在で22兆円にのぼる。だが利用企業の倒産は1〜9月に前年同期よりも2割近く増えた。

 政府は補正予算案に信用保証の拡充を盛り込むが、保証供与の効果が薄れつつあるほか、財政負担を伴う。放置すれば倒産するような企業については、こうした政策でいつまでも延命させるのは無理だ。

 倒産を抑えるには、第一に金融・財政政策で短期的な需要の落ち込みを最小限に抑えること。第二に内需分野での規制緩和など成長戦略を早く実行し、企業、特に海外展開をしにくいような中小企業が仕事を確保できるようにする必要がある。企業の業種転換を促す政策も大事だ。

大阪府の緊急資金貸付制度 〜 15億円回収不能 [2010年10月13日(水)]

石川和男

2010年10月14日13時35分

 昨日の産経新聞ネット記事によると、大阪府かけこみ緊急資金貸付制度をめぐり、未返済残高が20億円、うち15億円が回収不能に陥っていることが府監査委員の監査結果で明らかになったとのこと。
【記事概略】
・府から社会福祉協議会への貸付金を原資、災害などで生活困窮となった世帯が対象。
・1世帯10万円以内を無利子無担保無保証で20カ月以内返済が条件。
・事業は昭和46年度から行われ平成13年度に廃止、延べ11万件、総額83億円。
・返済率は76%、返済されていない20億円のうち15億円は貸し付けた相手が死亡、破産など回収が難しい状況。

・監査委員は、社協に対する指導強化や府としての対策を求めている。


 回収を前提としていた制度そのものの欠陥が今になって露呈している。多重債務であろうがなかろうが、返済困難な人への公的貸付は給付に極めて近い政策思想で行われているのが常。

 金融としては体をなしていないと思われるが、福祉としては十分あり得る話。公的資金の供与には貸付と給付があるが、よくよく考えると、公的貸付というのは本当は奇妙。

 返済が前提となっているのであれば、利子補給や公的保証は別として、そもそも民間で賄えるはず。公的与信に貸付という手法を存続させるべきかどうか、入念に仕分けてみるべき。

GoogleのAndroidTVに少しだけキャプテンの幻影が重なる

ITmedia オルタナティブ・ブログ

2010年10月14日13時29分

今の若い人にかつて1980年代後半から2002年くらいまでの間に存在していた「キャプテンシステム」というサービスの事を知ってる人はそれほどいないかもしれません。というか、知ってる人は若くない?(笑)かもしれません。技術的にはビデオテックスと呼ばれた仕組みで、専用のキャプテン端末をテレビに繋いで使うというスタイル。

かつての「ニューメディア」ブームの中で、ひとつの象徴的なシステムとして位置づけられていましたが、インフラ整備自体の問題、コンテンツの問題、コンテンツ制作の手間とコストの問題、コンテンツプロバイダーの問題、そもそも個人が個人資格で何かすることなど不可能な仕組みであった事など、今でも良く聞くような話も含め数々の問題を解決できず、技術の進歩のなかで最終的に今のWebの仕組みに当初期待していた役割を渡す形で消えていったサービス、と言えるかもしれません。

キャプテンの歴史についてはそれぞれで勉強してただければとは思いますが

もちろん今とは時代背景も技術レベルも全く比較になりませんから、単純にAndoroidTVがキャプテンシステムと同じ末路を辿るぜなんて暴論を吐く気は更々ありませんが、私的にちょっと気になるのがハードウェアがある程度固定された場所にあるシステムで、かつある特定のハードウェアの存在に依存するというものがどこまで受け入れられるのかな?っていうところです。

http://plusd.itmedia.co.jp/lifestyle/articles/1010/13/news042.html
ソニー、“Google TV”搭載の「Sony Internet TV」を米国で発売 - ITmedia +D LifeStyle
via kwout

根本的なところではインターネットに繋がる回線が無いと意味が無いわけですが、少なくともこんな機材を使ってみようという人の(おそらく)殆どの人の居場所に何かしらのネットワークがあるとは思います。

次に、じゃぁこれで何が出来るのって言うと・・・ う〜ん。まだ今のところは概要しかわかりませんが、インターフェイスの設計とか使い勝手は別にして、例えば基本的にはPCで出来るし、ゲーム機でもインターネット接続が出来るのであればそれなりに同じような事が出来たりはします。そもそもテレビ自体はデカイので持ち歩く事は当然出来ない訳ですが、一家に一台コレだけで何でも出来るなんて言っても複数の人間で画面分割してシェアして使うのは非現実的だったりするわけです。ドラマを見てる横でゴチャゴチャされるのは嫌だし。見る気になってるときにはチャンと見させて欲しい。

デカイテレビは所詮デカイテレビ。

う〜ん。私の発想が貧困なのでしょうけど、これが置かれた自分の家の生活ってのがどうにも想像できません。

じゃぁ一人に一台?

確かに最近はテレビにワイヤレスのキーボードとマウスが付いたような形態のPCが増えてきました。住居形態が一人暮らしなのか家族と一緒なのかってのは別にして、いずれにせよ誰かとシェアするのではなく自分のためのPCとして使うモノ、だとは思うんですね。

で、たとえばPCが別にあって、それでなおかつ、これを買う?別にコレじゃなければ見れないコンテンツなんてないだろうし、そんなのがあったところで、それこそキャプテンシステムみたいに閉じた世界向けのコンテンツなんて直ぐに消えちゃうよ、みたいな思いもあるわけです。
■プロフィール

岩永慎一

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外資IT、日本のIT系を経由して現在通信会社に勤務。

モバゲーは大人が苦手? Yahoo!モバゲーでクレーム続出

大西宏

2010年10月14日11時38分

Yahoo!とDeNAの提携によって、Yahoo!モバゲーがスタートしましたが、スタート当初から一部利用者の登録情報が他の利用者から閲覧できる不具合が発生しただけでなく、今なお肝心の将棋、囲碁、ビリヤード、麻雀などの定番ゲームで、クレームが続出しており、元に戻せという署名を求める書き込みまででてきています。ゲームを分かっていない、遅い、重い、バグがある、ゲーム中にチャットが出来ないなどというもので、一部ではソフトの修正を行ったものの不満は収まっていません。

もともとは、Yahoo!はユーザー数は抱えているけれど、ユーザー同士のつながりが不十分だった、また課金のしくみに弱かったとして、DeNaとの提携を進めたはずでしたが、ゲーム中にチャットが出来ない、これでは仲間ができないという不満もみられ、中高生の出会い系サイトとまで揶揄される同社ですが、もともと携帯サイトでもモバゲーは30歳以上の大人には弱いとされており、そんな弱点をゲーム内容でも見せてしまった格好となっています。

mixiにゲームを提供し、さらにYahoo!にも提供することで足場を広げ、ユーザー数の拡大をはかってきているDeNAですが、スマートフォン向けソーシャルゲームアプリを開発、販売する 米国のngmoco を一億ドルで買収し、さらにiPhoneにと成長の場を広げようとしています。

さて順調に伸びてきたソーシャル・ゲームの市場も、日経のレポートによると変調が起こってきているようです。世界最大のSNSであるFacebookが、プラットフォームのオープン化を行ったことで、参入の敷居が低くなり、結果として、08年に約5万種類だったアプリケーション数は今年1月には55万種類へと急増したのですが、「Facebookのユーザー数がこの半年間で14%増加したにもかかわらず、アプリの利用率は20%低下し、毎日特定のアプリを利用しているユーザー数も13%減少した」(日経)そうです。

さて、粗製乱造で市場が衰退するリスクに加え、iPhoneのゲームをめぐっては、米国、ドイツ、韓国など、各国でソーシャルゲーム市場で成功した企業だけでなく、映画会社のディズニーやテレビネットワークのABCなどメディア系の大型資本も参入の動きもあるようで、資本力の競争がはじまろうとしていることも気になります。

急成長続けた米ソーシャルゲーム市場に変調の兆し

競争が激しいと言っても、ゲームは日本のお得意芸のひとつであり、ユーザーの支持を受ければ、それなりのポジションを築くことは可能だと思いますが、iPhoneのユーザー年齢は高く、いわば大人の世界であるだけに、DeNAが一皮むけて、大人を惹きつけるソーシャル・ゲームの世界を生み出せるかどうかにかかっているのだと感じます。Yahoo!モバゲーはその試金石なのかもしれません。

【BLOGOS】マジコン規制に対するいくつかの疑問

眼光紙背

2010年10月14日11時00分

赤木智弘の眼光紙背:第153回

 コピーされたROMイメージをネットでダウンロードして、携帯ゲーム機で遊べるようにする「マジコン」と呼ばれる機器の、製造や販売などを規制するための刑事罰の導入を含む、著作権法の改正案を文化庁が進めているようだ。(*1)

 こうした規制の動きに対して「ネットでは反発の動きがあるのかな?」と思ったのだが、むしろマジコンを販売できなくする法改正に賛成という意見が、比較的多いようだ。
 ここで勘違いしてはいけないのは、マジコンの販売規制に賛成している人達は、決してゲームソフトをちゃんと購入している人達だけではない。規制賛成派には、ちゃんとゲームを購入している人だけではなく、ゲームを購入せず、コピーされたROMを使ってゲームを楽しんでいる人達がいる。
 彼らの多くは、エミュレーターを用いて、自分のパソコンの上でコピーされたROMを使ってゲームをプレイする。マジコンも利用するが、使っていることがバレないように、公衆の面前では利用しない。
 一方で、カジュアル的にマジコンを利用するユーザーがいる。彼らはコピーされたROMイメージを利用してゲームをプレイするということのアングラ性を認識しないまま、人前で携帯ゲームにマジコンをセットして、堂々とプレイしてしまう。
 マジコンは、通常のゲームとはROMの色が違ったり、通常のROMには存在しないマイクロSDカードのスロットがあったりと、知っていれば見た目でそれと判断できる形状のものが多い。私も電車の中などで何度か、明らかにマジコンを挿してプレイしている人を見かけたことがある。
 そして、カジュアルユーザーの多くが「子供」である。子供自身が自ら情報を得て購入することもあるし、親が子供に買い与えることもある。
 自らはコピーされたROMイメージを利用しながら、マジコンの販売規制に賛成する人達は、そうしたカジュアルユーザーがマジコンを使えなくなることに対して「ざまぁみろ」と思っているだけであり、決して彼らがゲームソフトをきちんと購入しようと考えているわけではないのである。

 さて、私はこの著作権法改正に、いくつかの疑問を持っている。
 まずは、ニュースの通り、マジコンの製造販売が違法化されたとして、コピーされたROMイメージの流通がなくなるのだろうか?
 マジコンはコピーされたROMイメージをプレイするための1つの手段に過ぎず、マジコンがなくとも、エミュレーターなどを利用してプレイされ続ける。私は今回の措置というのは、上記のようなカジュアルユーザーを、コピーされたROMイメージから遠ざけるものにしかならないと考えている。もっとも、彼らの何割かが正規にソフトを購入するだけでも、成果としては十分という考え方はあるだろう。
 もうひとつ。こうしてマジコンを取り締まることが、本当に著作権法の趣旨にかなうことなのだろうか?
 著作権法は、第1条にある通り、単に著作権者の権利を保護するだけではなく、「文化的所産の公正な利用に留意」しながら「文化の発展に寄与すること」を目的とした法律である。
 コピーされたROMイメージをプレイするだけの何が文化の発展だと思われるかもしれないが、マジコンには「携帯ゲーム機を用いたゲームプログラム環境を、利用者に開放する」という働きも存在している。実際、マジコン向けに同人ソフトを販売している人もいる。
 もっとも、そうした用途はニッチだし、マジコンユーザーの多くは、コピーされたROMイメージをプレイすることにしか興味がないだろう。また、ソフト製作者が携帯ゲーム機でソフトを動作させる必然性もない。パソコン上でも同人ソフトは作れるのである。
 それでも、文化の多様性を守ることもまた、著作権法の目的であろう。単にマジコンが著作権者の利益を侵害するからといって、それの製造販売を規制することは、はたして著作権法の趣旨にかなうことなのだろうか。

 マジコンの問題は、決して「馬鹿な親子がマジコン無くなって涙目www」などという嘲笑の中で、ネタとして消費されるべき問題ではなく、著作権をめぐるさまざまな視点を内包する問題である。できればそのことが、検討段階の今のうちに広く指摘されて欲しいのだが、どうだろう。

*1:世界で推計被害4兆円 「マジコン」販売に刑事罰 文化庁、来年にも著作権法改正案 (産経新聞)http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20101011-00000501-san-soci

番外編「PB後進国日本の現実」

加藤鉱

2010年10月14日10時54分

【渥美俊一氏を偲ぶ】

 いまから3ヵ月前、戦後日本の流通業界をけん引してきた、経営コンサルタントの渥美俊一氏が亡くなった。享年84歳。わたしの取材にも何度か応じてくれたが、そのたびに衰えぬ論理的思考力と深い見識に驚かされた。

 「ペガサスクラブ」という団体がある。一般人には馴染みが薄いけれど、小売流通業に携わっている人間でこの名前を知らないのではモグリと言われても仕方がない。
ペガサスクラブとは、読売新聞記者時代に渥美氏が当時自力で年商1億円(日商30万円)以上の小売業経営者にチェーンストア作りの運動を呼びかけて1962(昭和37)年に創設したメンバーシップ制の研究団体。現在も隆盛である。
 渥美氏は3年半かけて全国行脚し、延べ1300人の経営者に会い、

「チェーンストア産業作りで世の中に貢献をしないか」
「商業の世界で生き甲斐を求めないか」
「そのためには、お互いに共同研究をやろうではないか」

と誘ったが、初期のメンバーになったのはたった13社だった。なぜならば、渥美がそのためには、

「趣味を捨てろ」
「増資を続けてつつましい生活をしろ。贅沢はご法度」
「金儲けは目的ではない。客層が増えることだけが己のバロメーターであり、世の中への貢献のバロメーターであり、それを商業人としての生き甲斐にしろ」

と彼らの人生観にも厳しく迫ったからだった。だが、その13人の主要な顔ぶれは、いまからふりかえってみれば、凄いメンツが揃っていた。

 中内功(故) 39歳 (ダイエー)         
 伊藤雅俊   37歳 (イトーヨーカ堂)      
 岡田卓也   36歳 (イオン・当時岡田屋)    
 二木英徳   26歳 (イオン・当時フタギ)    
 西端行雄(故)45歳 (マイカル・当時セルフハトヤ) 
 岡本常男   37歳 (マイカル・当時赤のれん)  
 大高善雄(故)54歳 (ヨークベニマル・当時紅丸商事) 
 大高善兵衛  27歳  同上
 高木久徳   38歳 (ユニー・当時ほていや)     
 西川俊男   36歳 (ユニー・当時西川屋)     
 和田満治(故)30歳 (いずみや)           
 大西隆    29歳 (アピサーク・元大西衣料、問屋)
 さらに江南、田中駒、サンコー、扇屋、柏屋の13社で結成された。
※年齢は1962(昭和37)年当時

 翌年、長崎屋と西友(当時西友ストアの堤清二)が参加してきた。したがって、その後の日本の小売流通分野の1兆円組すべてがペガサスのメンバーだったということになる。
当時のダイエーの年商が30億円。岡田屋は18億円、イトーヨーカ堂は5億円、マイカルは3億円しか売っていなかった。そこから1兆円企業になった。40年かけて1万倍の売上になったことになる。

【PBの全責任はチェーンストアが負うべし】

とんでもないリコール「禁じ手」論― もっと増やせ解職請求!

北村隆司

2010年10月14日10時00分

名古屋市議会をリコールする動きについて、三重県議会議長は「河村市長は、禁じ手を使って自分の政治的主張を通そうとするばかりで、議会を説得する努力もしない。首長主導で議会の解散請求運動をすすめる動きは、法が想定していない事態だ。制度的な整備をして、首長が自分の目的を達成する為のリコールを規制する必要がある」と河村市長と直接請求制度を手厳しく批判しました。同議長は続けて「市議会に、自らが代表を努める地域政党『減税日本』の候補者を議会の過半数以上を擁立し、議会を追認機関にしようとしている。絶対に容認してはならない」とも述べたと報道されています。

「市長の議会を説得する努力が足りない」と言いますが、名古屋市議会は激論の末、市長の提案の殆どを否決し、市長の主張に聞く耳を持たなかった筈です。川村市長の発言スタイルは賛否両論あるとは思いますが、市長に議会を説得する責任が有るとすれば、議会側も市長を説得する権利があるはずで、市長の努力不足だと一方的に責めるのは議会側の驕りとしか思えません。

市民が議員を選任する議会民主主義の日本で「市長派が議会の過半数を占める事は、議会を市長の追認機関にするもので絶対容認できない」などと発言する事は、有権者を冒涜するとんでもない発言です。

リコールは、公職者を有権者の請求によって解職する手続きに過ぎず、市長の持つ権限ではありません。直接民主制の具体化として地方自治法で認められた解職請求権を、「禁じ手」と言う議長の発言こそ、「禁句」と言うべきでしょう。

「自分の政治的主張を通そう」とする事は、政治家の権利であり、義務です。官僚と異なり、選挙と言う洗礼を受ける政治家は、その主張が有権者の支持を失えば落選するリスクを負っている以上、自分の政治的主張の理解を求めて全力を尽くすのは当たり前です。

首長がリコール運動を進める事は、法の認めた当然の権利で、河村氏がたまたま市長であると言う理由だけでその権利を制限する事は、民主主義の否定です。今回のリコール請求運動に対して、名古屋市議が超党派で激しく署名反対運動を行った事でも判る通り、リコール運動は身分に関係なく有権者に等しく認められた権利で、法の想定の有無とは無関係です。

ましてや「首長のリコール請求権を規制するなど、直接請求の制度的整備も必要だ」と言うに至っては、有権者の権利より自分の身分を優先する暴言と言えましょう。

日本の地方自治体の立法、行政の無駄は目に余ります。中でも、余りに多い議員数と多額の歳費は早急に改善する必要があります。少子、高齢化と財政難に悩む日本で、定数や歳費の削減に反対し続ける議員に緊張感を与える為に、もっとリコールを活用すべきです。

住民の立場を無視して、議員定員の削減や歳費の節減などの議会改革に反対し続けるのであれば、首長が代表を努める地域政党が候補者を立てて議会の改革に乗り出すのは当然です。

選挙の結果,首長が代表を努める地域政党が勝利を収めたとすれば、その議会は首長の追認機関ではなく、有権者の意見を反映したものです。「絶対に容認してはならない」のは三重県会議長の主張であって、「真摯な反省」が必要なのも、三重県会議長ではないでしょうか?

直接請求による議会解散は、政治の空白や膨大な費用を伴う危険もあります。その乱用を恐れた現行法は、リコールの成立には高いハードルを設けています。それにも拘らず46万を越える署名を集めた名古屋で、政令都市では初めてのリコールが成立しそうな事実は、有権者の議会に対する不満の高さを物語っているのであり、反省すべきは議会側の怠慢であって、市長側の行き過ぎではありません。

現状の地方議会の無駄の大きさと質の悪さを考えますと、リコール運動はまだまだ足りません。費用や政治空白を恐れるより、リコール運動を通じて有権者の政治に対する認識が高まる方が今の日本には大切な気がします。

この際リコール制度のハードルを下げてでも、解職請求を通じて地方議会の改革を促進する必要があるのではないでしょうか?

特捜検察は廃止すべきか

池田信夫

2010年10月14日09時43分

アメリカ人のみた日本の検察制度―日米の比較考察大阪地検の事件を契機に、特捜部廃止論が再燃している。もちろん証拠の改竄は言語道断だが、それと制度論は別に考えるべきだ。「検察が捜査機関をもっているのはおかしい」という話は昔からあるが、問題はそれほど単純ではない。本書はアメリカの研究者が、日本の検察制度をアメリカとの比較で論じたもので、制度設計を冷静に考える材料となろう。

以前の記事でも紹介したように、日本の有罪率が99.9%というのは誤解で、これは検察の段階で起訴猶予にするケースが多いためだ。このように検察の裁量権が大きく、捜査権をもっているのが日本の特徴である。アメリカでは検察官が被疑者の取り調べを行なうことはないが、日本の検察官は勤務時間の60%を捜査に費やしているという。

つまり捜査機能をもっているのは特捜部だけではなく、いわば日本中の検察官の半分以上が「特捜部」の仕事をしているのだ。これは長所もあり、警察の捜査を検察がチェックして起訴猶予にするケースが4割近くある。その結果、有罪率が異常に高くなるのだ。アメリカの検察官は警察の捜査を追認する傾向が強いが、日本では検察の独立性が高く、むしろ警察の捜査を指揮することも多い。

著者は日米を比較して、捜査や取り調べを検察と警察が協力して徹底的に行なう日本の制度を、精密司法と評価している。それに対してアメリカの警察はろくな捜査をしないで逮捕し、検察はそれをチェックしないですべて起訴する粗雑な司法で、陪審員の感情的な評決で無罪になるといったケースは珍しくない。国民もメディアも無罪判決が出ても驚かず、裁判はゲームだから勝つこともあれば負けることもあるさと思っている。

ただし精密司法には欠点もある。それは検察が有罪と決めた事件で無罪判決が出ることは恥なので、被疑者に対する「圧迫的な取り調べ」で自白を強要する傾向が強いことだ。このとき検察官の大きな裁量権を利用して、「吐いたら執行猶予で楽にしてやるが、否認したら3年は臭い飯だぞ」といった取引を行なうのが常套手段で、これが数々の冤罪事件を生んできた。

この原因は、逆説的だが、日本の捜査機関に司法取引の権限が公式に与えられていないためだ。政治家の犯罪のような知能犯では物証が少なく、自白しか証拠がないことが多い。これを補うために、アメリカでは答弁取引、刑事免責、おとり捜査、盗聴など幅広い捜査方法を認めているが、日本では裁判を「真実の解明」と考えているので、こうした取引を認めていない。このため、密室で脅かして「落とす」しか立証の方法がないのだ。

だから著者は、捜査機関にこのような司法取引の権限を幅広く認める代わりに、取り調べをビデオに収録する改革を提案している。捜査官に自白の強要以外の捜査手法があれば、可視化することはむしろ被疑者の自白の任意性を証明する材料となろう。

問題は特捜部という組織をどうするかではなく、検察が捜査機能をもつべきかどうかだが、これについての著者の評価は肯定的だ。日本の警察は占領軍によって弱体化されたため、各県警本部は自治体の指揮下にあって政治的独立性が低く、警察が大物政治家を検挙したことはほとんどない。ロッキード事件以来、検察が政治家の腐敗を牽制した功績は大きく、今度の事件一つでそれをすべて否定することは公正な評価とはいえない。

落盤事故:日本だったら

山内康一

2010年10月14日09時14分

テレビの報道はチリの落盤事故の救出劇で一色です。昨日の衆院予算委員会など、吹っ飛んでしまいました。

閉じ込められた鉱山労働者の忍耐と元気には敬意を表します。そして当事者や国民の明るさに驚かされます。閉じ込められた鉱山労働者が英雄視されるのは理解できます。

しかし、日本的感覚から見ると理解しがたいのは、大統領や鉱山大臣が前面に出て報道陣に対応し、「救出劇の主役」のように振る舞っていることです。鉱山相がポジティブに報道されているようにも思えます。

同じような事故が日本で起きたらそうはならないでしょう。まずマスコミと野党が、鉱山担当省を徹底的に批判し、鉱山大臣は予算委員会に呼ばれてつるし上げられるでしょう。鉱山大臣の進退問題になっていることでしょう。

事故の被害者の鉱山労働者への同情は集まると思いますが、あんなに明るくて元気な応援にはならないと思います。もっと慎み深い同情と応援になることでしょう。

救出現場ではみんな「チリ万歳!」みたいに連呼していますが、日本の鉱山事故現場で「日本万歳!」みたいなことを叫ぶ人は、まずいないと思います。いたら「不謹慎だ」と責められます。

日本人なら「なんで落盤事故でナショナリズムをあおるの?」と不思議な感覚にとらわれるのではないでしょうか。日本ならナショナリズムに訴えるどころか、政権批判の材料です。

日本とチリの国の成り立ち、近代化の過程、国民性など、いろんな要素が作用しているのだと思います。日本のように放っておいても「日本人」イメージが定着している国と近代化の過程でナショナリズムを人工的に作ってきた国との、大きな大きな差異かもしれません。

ナショナリズムが人工的な「想像の共同体」に基づくことを、チリの落盤事故救出劇を見て、あらためて思い至りました。国を挙げて「チリ」という国家アイデンティティを守ろうとする、健気な努力ということなのかもしれません。日本には必要のない努力なのかもしれません。

デジタル教科書、主なQ&A

中村伊知哉

2010年10月14日06時00分

 韓国が来年からデジタル教科書の義務化を開始、2013年には全員配布といい、フランスは来年に全員配布を達成するという情報が流れる中、各国の教育情報化は、デジタルは要るか要らないかの議論をとうに超え、どう使いこなすかの実践に移っています。

 しかし日本では、デジタル教科書への反対論がぼんやりと漂っています。それは強固なクラウドのようなもの。反論するにも手触り感がないのですが、パターン化されていますので、整理しておきましょう。

 批判のパターンはだいたい下記のようなものです。
・デジタルは紙をなくす。
・デジタルは画一化を進める。
・デジタルは読めない。
・デジタルは書けない。
・デジタルは面白すぎてのめりこむ。
・デジタルはつながりが希薄になる。
・デジタルはつながりすぎて危険だ。
・デジタルは先生と生徒を引き離す。
・デジタルは先生が使えない。
・デジタルは先生の仕事を増やす。

 うーん、なんだかなー。
 わかった、「ネット機能を持つゲームボーイ」を配って教科書と先生を取り上げるイメージなのですな。
 そりゃー批判したくもなりますな。
 でも、批判するなら、せめて小学校で導入しているタブレットPCを触ってからにしましょうよ。

 ぼくがよく受ける質問と、ぼくの答えをメモしておきます。

1:紙の教科書はなくなる?
「併存。紙も鉛筆もデジタルも場面に応じ道具として使いこなせばよいでしょう。」

2:画一的で正解を求める授業になるのでは?
「デジタルはもはや電卓ではなく、創造と共有のツール。多様で正解のない学習のためのもの。」

3:読む力が落ちるのでは?
「読ませなければそうなる。デジタルでも、読ませることが大事です。」

4:書く力が落ちるのでは?
「書かせなければそうなる。デジタルでも、ペンで書かせることが大事です。」

5:機械にのめり込み先生の話を聞かなくなるのでは?
「教科書が面白すぎて先生の話を聞かない(そんなことがあればですが)、というのと同じで、デジタルの問題というよりコンテンツと授業の設計次第かと。」

6:先生がついてこれないのでは?
「ついて行けます。能力の問題というより意思の問題でしょう。」

7:先生の雑務が増えるのでは?
「採点、成績管理などが効率化され余裕が生まれます。校務情報化をセットで整備する必要があります。」

8:他国が進んでるからといって急ぐ必要があるのか?
「そうでない理由を聞きたいです。そして日本の子どもたちに、君たちだけ遅れるよ、と説明するところを見てみたいです。」


 要するにデジタル教科書を巡る賛否というのは、デジタルかアナログか、というより、日本の教育を変えたいか変えたくないか、のスタンスの違いのようです。

「割り算」どころか「足し算」も間違える検察審査会事務局のテキトーさ。

畠山理仁

2010年10月14日02時55分

「割り算」どころか「足し算」も間違える検察審査会事務局のテキトーさ。
「検審事務局の皆様と“割り勘”する時は注意が必要だっちゅうわけだ」

 思わず小沢一郎氏の口真似でそう言いたくなるほど、検察審査会事務局がテキトーな存在であることがわかった。

 10月12日、東京第五検察審査会事務局は、これまで「30.9歳」としてきた審査員の平均年齢を「33.91歳」に訂正した。その際、「最初の計算から漏れていた一人の年齢は37歳」と発表してしまったことにより、「計算が合わない」との指摘が続出。

 それを受けて翌日の10月13日夕方には「議決日の9月14日時点では34.55歳」と再度訂正する事態に陥ったのだ。

 ここまでくると「本当に審査会のメンバーは実在するのか」「非実在審査員ではないのか」との声が上がっても、正面切って反論しにくいのではないか。

 同審査会の平均年齢が初めて「30.9歳」と公表されたのは10月4日。小沢一郎元民主党代表に対する「起訴すべき」との議決が公表された時だった(議決自体は民主党代表戦当日の9月14日)。

 通常、審査員の平均年齢は公表されない。それなのに小沢一郎氏の事件に関しては審査員の平均年齢が公表された。

 疑問に思った筆者は、東京第五検察審査会に電話で問い合わせてみた。対応したのは東京第五検察審査会の報道対応を担当する東京第一検察審査会の手嶋健総務課長。平均年齢を公表した理由は次の通りだという。

「一部の著名事件、報道機関が注目して報道されるような事件については、例外的に報道機関からのご要望によって、そういう取り扱いをさせていただいています。従前からそのような例がございますので、個別の事件ごとに判断をしてそういう取り扱いをさせていただく場合がございます」(手嶋氏)

 最初に審査員11名の平均年齢が「30.9歳」と公表されたとき、各方面、とりわけツイッターを中心とするインターネット上では「検察審査員は選挙人名簿から選ばれるのに、審査員の平均年齢が若すぎないか?」との疑問が噴出した。

 小沢一郎氏自身も同審査会の議決を受けて開いた10月7日のぶら下がり会見で次のように語っている。

「11人の委員ということと、平均年齢30歳ということしかわかりませんので、まったくの秘密のベールの中に閉ざされておるものでございます」(小沢氏)

 こうした指摘を受けて東京第五検察審査会が再計算した結果、当初の「30.9歳」は誤りで、「33.91歳」が正しい数字だと訂正されたのだ(前述の通り、13日夕方には「議決日の9月14日時点では34.55歳」と再訂正)。

 いったい、検察審査会事務局はどんな複雑な計算方法で平均年齢を算出しているのか。前出・手嶋氏に聞いた。

畠山:審査員の平均年齢は「11人全員の満年齢を足して11で割る」方法ですか?
手嶋:そうです

 つまり、最初に公表された「平均年齢30.9(0909)歳」を算出する際に使われた「11人全員の満年齢の合計」は「340」になるはずだ。

【GAP】、1週間で新ロゴ撤回!及び腰の姿勢で聞く相手を間違えば見透かされるだけ?

後藤文俊

2010年10月14日02時45分

101014新旧GAPロゴ

■ギャップ(GAP)は12日、同社のホームページ上で先週発表した新しいロゴ(上記右)に批判が殺到したため、紺色の正方形で白抜き文字の元のロゴ(上記左)に戻すことを発表した。4日発表された新しいロゴは、白地にヘルベチカ書体のGAPと描かれ、Pの右端に小さな青い正方形が重なったもの。北米社長のハンセン氏は「20年以上前から続くロゴの伝統を受け継ぎ、より現代的に進化させたもの」と自信をのぞかせ、来月から始まる同社のキャンペーンで大々的な使用を計画していた。しかし、同社のツイッターやフェースブックに、新ロゴに対する厳しい批判が殺到。また、新ロゴをめぐっては、そのデザインをまねたパロディー版が登場したり、ツイッターでは新ロゴをネタに偽アカウントが現れたりと、話題が沸騰していた。GAPはこの反応を受け、以前のロゴの復活を決めた形だ。



全米ネットワークニュースでもGAPの新ロゴ撤回を伝えている。ネット上のグラフィックアーティストが集まるコミュニティでは新ロゴが格好の攻撃材料にされている。新ロゴをパロって「Laziness(怠惰)」とデザインされたり、「子供がデザインするほうがまだましだ」のと非難の嵐だ。しかし、顧客ではない人たちからの非難で、ロゴを元にもどすのは、それこそ怠惰な姿勢だ。

⇒こんにちは!アメリカン流通コンサルタントの後藤文俊です。実は、来週からニューヨークでの視察研修があり、旅行社(しかも数社)からコーディネーター依頼を打診されていました。日程的には可能でしたが、企業(オーガナイザー)からの直接の依頼ではありませんでしたので、お断りしました。私はコンサルタントです。旅行社の下請けで仕事をしていません。コンサルタントを名乗る人の中にはそういった人もいるようですが、「(下請けになることで)視察の方法に慣れ(悪く言えば手抜き)が出てきてしまい、せっかく視察先に同行いただいても、充分な説明やが無かったとの指摘をうけた事もあります」と疑問を呈する旅行社の方もいます。また、旅行社に勧められて、流通誌に記事を書いている現地在住コンサルタントを雇ってはみたが「使えなかった」というクレームも、実際に私は聞きました。

はっきりいうと今は円高ではない - 藤沢数希

アゴラ(藤沢数希)

2010年10月14日02時04分

財務省と日銀は9月15日に実に6年半年ぶりの為替介入を実施した。ニュース報道等によれば2兆円ほどドルを買って円を売ったようである。この介入によってUSD/JPYは一時的に86円付近まで円安に戻した。しかしここ数日はまた81円台で取引されている。日本国政府はすでに100兆円ほどアメリカ国債などを保有しているため、ここに追加の2兆円分ドル資産を増やしたからといって大したことではないが、先月の2兆円の介入でドルを85円程度で買ったとするならばすでに3%程度損失が出ている。つまり2兆円x3%で600億円ほどだ。これは日本国民の負担となろう。

ところでそもそも現在の為替水準は本当にファンダメンタルから著しく乖離した円高であり、それゆえに政府による介入も正当化できるような水準なのだろうか? 結論からいうと筆者は必ずしもそうとは考えていない。むしろファンダメンタルからいえばとても円高とはいえず、為替介入は政府による一部の輸出企業への補助金ではないのかという批判も根拠のないものとはいえない。以下、その理由を説明しよう。

USD/JPYの推移
出所:日本銀行のウェブ・サイトより筆者作成
日本はデフレ、アメリカはインフレ

為替レートを決めるもっとも基本的なファンダメンタルは何かといえば、それは購買力平価説である。お金がなぜ価値があるかというとそれはお金でモノやサービスを買えるからである。そしてモノやサービスに一物一価の法則が成り立つとすると、アメリカで1個1ドルでハンバーガーを売っていて、日本では1個100円でハンバーガーを売っていたとすると、このハンバーガーから見れば、1ドルと100円は同じ価値でなければいけない。すなわち1ドル=100円と為替レートが決定されるのである。

さてアメリカは2%程度のインフレで日本は1%程度のデフレだった。つまりハンバーガーの値段は10年たつとアメリカでは1ドル20セント程度に値上がりし、日本では90円程度に値下がりすることになる。この時の為替レートは1.2ドル=90円、つまり1ドル=75円になるのである。

話を簡単にするために日米のインフレ格差が3%だと仮定しよう。1995年の1ドル=80円を基準とすると、購買力平価説で現在の為替レートを計算すると3%x15年で45%円高が進んでいないとおかしいことになる。そうすると現在1ドル=55円程度となる。つまり過去の物価の変動から考えれば現在の82円程度の為替レートは全く円高とはいえないのだ。

金利差がなくなった

2008年の金融危機以前はアメリカは5%程度の政策金利を維持していた。その間、日本の政策金利はほぼゼロであった。実際の経済活動で重要な長期金利も日米では3%以上の金利差があった。

金融危機により経済に大きなショックが加わり、アメリカの中央銀行は教科書通りに金利を低下させた。しかし日本はゼロ金利政策ですでに金融緩和をほぼ全開にしていたので、さらに金利を下げることができない。サスペンションが沈み込んだ自動車を運転しているようなものだったのだ。アメリカの金融緩和によって日米の金利差は急速に縮まった。その過程で金利によるキャピタルゲインが低下したドルが売られて、逆に相対的には魅力が増した円が買われたのは当たり前のことなのである。

グーグル、世界中のショッピングデータから独自の景気動向指数を算出。カルビーは降雨量や気温からジャガイモの品質を算出。「これがデータの威力」

Publickey

2010年10月14日02時01分

グーグルが世界中から集めてきた膨大なオンラインショッピングデータから、独自の景気動向指数として「グーグル物価指数」の算出を社内で始めていると、英Financial Timesが記事「Google to map inflation using web data」で伝えています(日本経済新聞による日本語訳「[FT]米グーグル、物価指数の社内運用開始」)。

FT.com / Technology - Google to map inflation using web data

記事によると、政府が発表する従来の「消費者物価指数(CPI)」は各店舗からデータが手作業で集められ、数週間遅れで発表されているが、グーグルのチーフエコノミスト Hal Varian氏はオンラインデータを利用すれば経済統計が迅速に集計できることに着目し、開発したとのこと。
Mr Varian emphasised that the GPI is not a direct replacement for the CPI because the mix of goods that are sold on the web is different to the mix in the wider economy.

ただしVarian氏は、GPIがすぐにCPIに取って代わるわけではないと強調する。その理由として、Webで販売されている商品の割合は、広く実際に販売されているものの割合とは異なることを挙げている。

このニュースは、グーグルのように大規模にデータを集める能力が、さまざまな分野に影響を与える可能性について考えさせられます。何より、グーグルに「チーフエコノミスト」という肩書の社員がいるのですね。グーグルは一体どこまでその能力を広げていくのでしょうか。

カルビー、ジャガイモの品質を計算式で表す



データの分析が変革をもたらす例をもう1つ紹介しましょう。昨日10月14日に行われた「データ主導のビジネス変革セミナー」(主催ITpro、インフォマティカ・ジャパン)の基調講演では、カルビーでCIOを務めた中田康夫氏が登壇。「データ駆動型経営への挑戦」という講演を行いました。

fig

講演のはじめに中田氏は1つの数式を示しました。

12.145+0.00117×冬の降雨量+0.0614×育成期平均気温+0.00386×収穫期降雨量

この数式は、ワインの品質を表す「アッシェンフェルターのワイン方程式」と呼ばれる数式なのだそうです。

為替レートに関する考え方

Willy

2010年10月14日01時31分

アメリカの不動産バブルが崩壊して世界的に需要が不足し、自国経済の回復のための通貨の切り下げ競争が本格化してきた。そこで円や人民元の問題に関して私が考えていることをまとめておこうと思う。

1.円相場について

最近3年の円高:
アメリカの不動産バブルの崩壊が明らかになった2007年半ば以降の円ドルレートを見ると、124円台から81円台へとかなりの円高が進んでいる。この原因は、

(1) ボラティリティ(変動幅)の増大と、
(2) 実質金利の逆転である。

為替変動が非常に小さい時期には、名目金利差を通じて低金利通貨から高金利通貨へ資金が移動する。これは2000年から2007年にかけ101円台から124円台へと円安が進んだ最大の理由である。こうした流れが逆転するのは、通常はボラティリティの増大であって、経済見通しのコンセンサスの変化ではない。変動幅が大きくなると、多大なリスクをとってまで高金利通貨に投資する投資家は減少するからだ。実体経済指標が変化するのはそれよりもずっと後になるのが普通だ。実体経済によって金融市場を予測する事は基本的にできない(プラザ合意のような強力な政治的意思がある場合は別だ)。

金融危機によるボラティリティの増大で一気に円高が進んだ後に起こったのが実質金利の逆転だ。2000年以降の長い間、少なくとも短期金融市場においては、円の実質金利(名目金利−インフレ率)は米ドルに比べて低い状態が続いてきた。しかし、アメリカの金利と日本のインフレ率が大幅に低下した結果、日本の実質短期金利はアメリカよりかなり高くなり、実質長期金利も日本の方が高くなった。為替レートの変動幅が十分にあるときには、購買力平価への収束圧力を通じて、実質金利が高い通貨が上昇しやすくなる。

最近15年の円安:

1995年には1ドル=79円台まで、円高が進行した。この後、日本がデフレに苦しみ、米国で年率2〜3%のインフレが続いたことを考慮すると、当時の円高は大雑把に言って現在の1ドル=60円前後に相当する。実質金利が逆転するような事態になっても、現在の円相場がそこまで円高にならない理由は何か?主な理由は二つあると思う:

(1) 個人による外貨投資の自由化:

1995年当時、個人投資家が外貨投資をすることは非常に難しかった。銀行に外貨預金をしようとすれば個室に呼ばれて丁重に断られたという話は日経新聞にも載ったことがある。もちろん、当時FXをやっていた個人投資家は皆無だった。

本来であれば、民間の企業部門や個人が対外投資をして為替レートは均衡するが、当時は少なくとも個人に関しては不当に外貨投資が制限されていたのである。超円高が進んだ後から、突如として外貨投資、続いてFXの取引が活発化したのは、政策的な規制緩和の結果と考えるのが妥当だろう

当事者として(2010年10月14日)

義家弘介

2010年10月14日00時00分

終日、参議院予算委員会に張り付いた。
先日の日記でも書いたが、テレビ入り審議にも関わらず、国民に伝えるべきことが、国民が知るべきことが終始、ぼやかされながら貴重な論戦の時間を飲み込んでいった。
何が『熟議の国会』だ!
何が『有言実行内閣』だ!
何が『国民目線』だ!
もちろん、内閣には現時点で明言できないことも多々あるだろう。
しかし、同時に現時点だから明言しておかねばならないこともあるのだ。

明確な意見は、『軸』が存在している限り、明確な反対の意見と対峙する。
そのときはじめて、『軸』(守るべき大切なもの)を中心として議論が起こる。
しかし、ポピュリズムに傾倒した政治は、それを示さない。
反対意見との正面衝突をできるだけ回避したい。
だから、明言することはできるだけ避ける。
その繰り返しこそ、今日の指針なき、骨格なき日本を作り上げてしまったといえるだろう。
教育も同じだ。
『いい』か『ならぬ』かを明確に示さぬまま、どちらにも曖昧な対応をするなら、いじめ問題など解決するはずもない。
俺の「悪質ないじめを繰り返す者は出席停止にすべし!」という言動が物議をかもしたことがある。
当然、いろいろな反対意見があったが、その中には、唖然とさせられるものもあった。
「加害者の教育を受ける権利を奪うのか」。
こんな意見には呆れてた。
その意見を唱える者は、問題の中心に加害者を置いているのだ。
そりゃ、議論がかみ合うはずもない。
俺の意見は、「いかにして、残酷で陰湿ないじめから子供を守るのか」を軸にしているからだ。

『右』とか『左』という言葉が出てくるが、ならば、その軸は何か?
政治で言うならば、軸は当然、日本という国であり、守るべき主権、領土、国民の生命と財産である。
だが、その議論の軸は、戦後、ずっと曖昧にされながら議論がぼやかされてきた。
結果、
「我が国の領土と主権を守るために…」
と『当然の言葉』を発しただけで、「あなたは右寄りだ」なんて言われる始末。
なにをかいわんや、である。
それは、右でもなんでもない『ど真ん中』だろう。
軸のない議論は、イデオロギーが変則的にぶつかる空中戦しか生まない。

そもそも、
「この国」
という言葉自体が変なのだ。
言うならば、「我が国」だろう?
「国語」という教科を「日本語」という教科名に変えるようなものだ。
「日本語」は他の言語圏の人が、我が国の言葉を習得しようとする時の教科の名前だろう。
その意味では、一般化している「日本史」という教科もおかしい。
日本語が、当然のこととして「国語」という教科名なのと同じように、日本の歴史を学ぶ教科は、疑いもなく「国史」であるはずなのだ。

軸のない議論はやがて国を滅ぼすだろう。
軸のない教育論の末に、『教育崩壊』が叫ばれるようになっとのと同じように。
だからこそ、戦わねばならない。
訴え続けなければならない。

少なくとも、国会開催中に虚偽の海外渡航申請をして韓国に出向き、『反日デモ』に参加していた人が、国家公安委員長という重要な閣僚に任命されるような国は、日本の他にはないだろう。

明日も朝から走り回る。
俺は絶対に傍観者にはならない。
頑張ります。

若者とシニアは安い職を争うが、一旦働けば若者は優遇される。

bohemian_style

2010年10月14日00時00分

 twitterで貧困の再生産の話をたまたま紹介してくれた方がいらっしゃって、その話を読むに色々考える所はあったのだが、こういう話は印象論じゃなくて、一度は貧困の真実を数字で掴まないと思考がフワフワするなと思い、簡単にデータを拾ってみることにした。あれこれ調べるとまずは家計調査が世帯収入の代表的調査という事だが、これがクソみたいなデータしか開示していないし、時系列データが長く取れない。困ったなと思って更に探してみると、国税庁が給与所得者のデータを事細かく開示しているのを見つけた。これがめちゃ便利だ。かつ国税なら統計はすごく正確だろう。いつも2月には税務申告の尋常ならぬ面倒くささに敵意を抱く国税庁だが、こういう時はありがたい。

○収入別分布図



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出典:出典:国税庁・民間給与実態統計調査

 これはよく見る図じゃないだろうか。データが利用可能な1995年(僕はまだ20歳で労働に従事していない)と2008年の比較だが、400-900万円位の収入の人が薄く広く減少して、200万円以下の貧困世帯に移行した様に確かに見える。中産階級が、グローバル化によって破壊されて二極化という話は人口に膾炙しているし、ロバート・ライシュもこれは不可逆的現象と述べていたから、まさにそれを示す様に思える。

○相対的貧困層の推移



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出典:国税庁・民間給与実態統計調査

 何をもって貧困と定義するかだが、相対的貧困率というのがあり、平均年収の半分以下の世帯が全体の何割を占めているかという事らしい。また、相対的貧困率があるなら相対的富裕率もあるだろうという事で、平均年収の倍の世帯をそう定義した。

ビル・エモット&ピーター・タスカの『日本の選択』。

斉藤久典

2010年10月13日23時34分

スーパーでは、トマトが1個150円。レタスは好天のためか300円から半額に下がったものの、業務用のパセリは一束が1,000円。近所の飲食店には「使うの止めたよ」というところもあります。輸入モノのトマトの缶詰は100〜120円ですから、円高と野菜の値上がりによって輸入の製品が有利になっています。円高といえば東京の下町の工場が映るのが日本のテレビの決まりですが、農産物にも円高の影響は広がります。円高は、内需産業を輸入品に対して弱くする。

日本の選択日本の選択
著者:ビル・エモット
講談社インターナショナル(2007-03-01)
おすすめ度:4.0
販売元:Amazon.co.jp
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ピーター・タスカとビル・エモットが06年の終わりに書いた対談集『日本の選択』を読むと、ほぼタスカ氏が見通した通りになっていることに驚きます。当時は自動車業界が活況だった時期でした。
企業収益は高く、景気回復の力は蓄積されてきているので、今後1年の日本の景気の見通しは悪くないと思いますが、巨額の投資に見あうだけの需要がないという点に私は不安を感じています。
2007年の後半から低成長期に突入し、第一次産品の価格が下落し、金融市場になんらかのアクシデントが発生すると、日本経済を取り巻く環境はひじょうに厳しいものになる。これまでの3年間に経験したものとは比較になりません。

原油価格の予想は外れているものの、金融危機が起きて日本が需要の不足に悩んで低迷するという不安は的中しています。

アメリカの政権交代によって自動車産業への支援が強くなることも予言している。
アメリカには共和党支持地域と民主党支持地域のあいだに大きな溝があります。共和党は中西部と南部で強く、民主党は東西の沿海部と工業地域で強い。たとえば、デトロイトは共和党政権下でそれまで持っていた政治的影響力を完全に失ってしまいました。共和党政権はGMやフォードで起きていることに対してまったく無頓着で、それは政治問題にすらならなかった。しかし、民主党が政権をとれば、状況は一変し、デトロイトはふたたび手厚い保護を受けるようになる。そのためには、人民元に対してではなく、日本円に対してドル安の方がいい。日本は世界の自動車業界のリーダーだからです。

中国の追い上げが日本にショックを与えることも語られています。
おっしゃったとおり、中国経済の追い上げは日本にとって大きなショックですし、それにどう対応するか方法はさまざまだと思いますが、いろいろな意味でいま以上に日本が真剣になるのは間違いありません。50年代後半、ソ連のスプートニクの打ち上げの成功がアメリカに与えたショックを思い出します。

2人とも共通しているのは、インフレ・ターゲットを導入すべきだと主張していること。日銀の白川総裁は「インフレ目標」を繰り返し否定していましたが、最近では「現在の金融政策の枠組みはアカウンタビリティの向上というインフレーション・ターゲティングの長所を最大限取り込むと同時に、その欠点とみなされている部分に対応したものだ」などと語るようになりました。さんざん「目標(ターゲット)」という言葉を嫌って「物価安定の理解」と言っていたのに、いつの間にか堂々と取り入れて「進化」していると賞賛するようになった。

ネット広告が再び上昇気流に、ただしCPM広告の売上シェアは下降の一途

田中善一郎

2010年10月13日23時32分

米国のインターネット広告市場が再び上昇気流に乗ってきた。The Interactive Advertising Bureau (IAB) と米 PwCがまとめた「the IAB Internet Advertising Revenue Report(2010年上期)」によると、2010年第2四半期のインターネット広告売上げが61.9億ドルと、前年同期比で13.9%も大幅にアップした。

 第2四半期の広告売上を、2000年以降プロットしたのが次のグラフである。

AdRevGrowth20002010Q2.jpg

 次は年間の広告売上をプロットしたグラフである。今年(2010年)の広告売上には下期の予測値を加えている。昨年沈んだインターネット広告は、今年に入って大幅に回復し、過去最大の売上高を達成するだろう。

AdRevGrowth20002010.jpg

 四半期別の広告売上は、次のように3期(2009年Q1〜2009年Q3)連続してマイナス成長であったが、その後プラス成長に転じており、上昇気流に乗ったと見てよさそうだ。

2009年Q1:-5%

2009年Q2:-5%

2009年Q3:-6%

2009年Q4:+3%

2010年Q1:+9%

2010年Q2:+14%

B-CASカードは「小型化」ではなく廃止せよ

池田信夫

2010年10月13日21時15分

来年4月からB-CASのシステムが変更され、3月末でユーザー登録を廃止するそうだ。図のようにB-CASカードも小型化(下が現在のカード)され、携帯用機器などに入れやすくなるというのが売り物だが、そもそもユーザー登録しないのなら、なぜカードが必要なのか。

携帯電話のSIMカードでもわかるように、こういう可搬式のカードはハードウェアが変わってもユーザーの同一性を証明するためのものである。ユーザーを同定できないシステムは、もはやCAS(条件つきアクセス)とは呼べないもので、カードにする必要はない。現在のB-CASカードは、無料放送である地上波にユーザー登録させる無意味なカードであり、法的根拠なく民間企業がすべての企業から料金を徴収する独禁法違反の容疑で、公取委の立ち入り調査を受けた。そのため廃止の方向が決まったのだが、すでに「関連業界」ができているため業者が廃止に抵抗し、ダビング10の機能だけを残したわけだ。

しかしコピー制御だけならカードは必要なく、DVDのようにソフトウェアとして再生機に組み込めばよい。現実には、フリーオのようにB-CASのスクランブルを解除する機材も数多く売られており、「画像安定装置」と称するもののほとんどはB-CASを破るコピーツールである。

2010年3月期のB-CAS社の決算によれば、これまでのカード発行枚数の累計は9463万枚で、同社の売上高は142億3600万円、経常利益は1億8000万円だ。この利益も違法な独占によって得た疑いが強い。放送業界は、今後もこのようなブラック企業を共同経営してゆくのか。NHKから天下った浦崎宏社長は、かつて私と一緒に銀行の不良債権を追及した記者だが、彼は自分のやっている経済犯罪が恥ずかしくないのか。

B-CASは、消費者を無視して放送局の利権のために談合を奨励する総務省の放送行政の象徴である。ユーザー登録しないB-CASはカードにする意味がなく、破られたダビング10は違法コピーの防止には役立たない。有害無益なB-CASカードは、小型化するのではなく廃止すべきだ。「国民の生活が第一」の民主党政権は、この違法なカードを容認するのか。

機械受注統計から設備投資動向を読み解く

官庁エコノミスト

2010年10月13日20時13分

本日、内閣府から8月の機械受注統計が発表されました。ヘッドラインとなる船舶・電力を除く民需は季節調整済みの系列で前月比+10.1%増の8435億円とドカンと増えました。まず、いつもの日経新聞のサイトから記事を引用すると以下の通りです。
8月の機械受注、10.1%増 判断「持ち直し」に上方修正

3カ月連続プラス


内閣府が13日発表した8月の機械受注統計は、民間設備投資の先行指標となる「船舶・電力を除く民需」(季節調整値)が前月に比べて10.1%増の8435億円となった。プラスは3カ月連続。製造業、非製造業ともに大幅に伸びた。内閣府は基調判断を前月までの「持ち直しの動きがみられる」から「持ち直している」に上方修正した。

機械受注統計は工場の生産設備などの受注額を集計するもので、3カ月ほど先の民間設備投資の動向を示す。8月の実績は日経グループのQUICKがまとめたエコノミストの見通し中央値(前月比3.7%減)を大幅に上回った。変動が大きい携帯電話を除いたベースでも11.2%増の7900億円と堅調だった。

ただ内閣府の和田隆志政務官は記者会見で、足元の円高・株安などの不安要因を踏まえ「いい動きだが楽観できる状況ではない。1-2カ月様子を見る必要がある」との認識を示した。

業種別に受注額をみると、製造業は前月に比べて12.5%増と3カ月連続で増加した。電気機械から半導体製造装置の引き合いがあったほか、大型案件が入った鉄鋼業も好調だった。非製造業の受注額は船舶・電力を含んだベースで30.8%増えた。海外からの受注額は3.7%減の7697億円だった。

内閣府の当初調査では7-9月期の受注見通しは船舶・電力を除くベースで前期比0.8%増だった。7、8月が大きく伸びたことから、9月が前月比横ばいでも7-9月期は13.6%増に達する。

次に、いつものグラフは以下の通りです。上のパネルはコア機械受注と呼ばれる船舶と電力を除く民需が青い折れ線で、その6か月後方移動平均が赤で、まら、コア機械受注からさらに携帯電話を除いたコアコア機械受注が緑の折れ線で、それぞれプロットされています。下のパネルでは、船舶を除く機械受注受注残高と、それ販売額で除した手持ち月数をプロットしています。いずれも季節調整済みの系列で、影を付けた部分は景気後退期を示しています。

機械受注の推移

iPhoneが発する高周波が人体に影響するかも知れないから「15ミリ以上離して」使うこと!

ITmedia オルタナティブ・ブログ

2010年10月13日20時01分

携帯電話は、自動車電話の時代から使っています。25年近くになるでしょうか。当時はショルダータイプの大きな電話機でした。電池も缶コーヒーくらいの大きさなのに3-40分しか使えません。なので2個予備に持っていました。

携帯電話が普及し始めた当初、携帯の電波が脳に与える影響があるかもしれない。。。と言われていましたが、すっかり忘れていました。と言うか、その当時には考えてもいなかった「常に持っている」ものに変わりました。

アップル「高周波が基準値より高くなる事があるのでiPhoneは身体から15ミリ以上離して使う事」
世界中で販売を拡大しつつある多機能携帯電話「スマートフォン」。アップル社の「iPhone」をはじめ、世界中の携帯電話メーカーが新商品を販売している。音声通話やインターネット接続、ビデオカメラなど大変便利なスマートフォンなのだが、使用について調査団体が警告を発しているのだ。

携帯電話の安全性を調査する団体「パワー・ウォッチ」によると、スマートフォンには健康リスクを増大する危険性が潜んでいるという。本来スマートフォンは機種を問わず身体から15ミリ離して使わなければならない。その事実をどのメーカーも明白にしていないというのだ。各メーカーに対して、機器の注意書きを修正し消費者にしっかりとスマートフォンに潜む健康リスクを訴えるように注意を促している。
15ミリ以上離したら、近くの人に会話が洩れるし、自分の耳で聞き取れない。最近、老眼がはじまった気配もある中、これは大問題!


安全に15ミリ離すには、15ミリ分の下駄のような何かをつけない限り無理!って思うのですが・・・

磁石の同じ極をつけると、離れるような仕組みがないと・・・と思いつつ、最近あまり見ない、イヤホンマイクで使うのも何だしなぁ。。。と。車に乗っている時は便利ですし、直接使えないので便利ですが、イヤホンマイクってあまり目立たない分、電話をしているのか、独り言をブツブツ言っているのか?わかりにくいところが、あやしさを増幅してしまう(自爆)
・ iPhone
音声通話、もしくはワイヤレス・ネットワークに接続する際は、身体から少なくとも15ミリ、本体を離してお使いください。

・ Blackberry torch
利用可能である場合には、ハンズフリーモードを推奨します。ワイヤレス・ネットワークに接続する際には、身体から少なくとも25ミリ、本体を離してください。呼び出し時間はなるべく減らしてください。

・ Nokia C6
身体から少なくとも15ミリ離し、耳元に本体を近付けてお使いください。
iPhoneだけでなく、スマートフォン全般的にヤバイようです。 と一昨日、このニュースを見て思っていたのですが、立て続けに

iPhoneが発する高周波が人体に影響!? ソフトバンク「何か起きたらご連絡ください」
アップルのスマートフォン『iPhone』を人体に15ミリ以上近づけて使用すると、総務省が定めている高周波エネルギーの基準値を超えることがあるという。これは『iPhone』に付属されている小冊子『この製品についての重要なお知らせ』に書かれてるもので、そこには以下のように書かれている。

iPhoneを身体に着用して使用する場合、本体の身体からの距離が15mm未満の場合(iPhoneをポケットに入れて持ち運ぶ場合など)、iPhoneのSAR測定値は総務省の定める曝露ガイドラインを上回る場合があります」(アップルiPhone小冊子より引用)
昨日もこれを見て、う〜ん・・・やはり1人現実Twitterでブツブツいう、アヤシイ雰囲気を醸し出すイヤホンマイクにするか?と。。。
■プロフィール

新倉茂彦

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有限会社ティーシーニック代表。経営情報学修士。

「世代間格差」が若者に認識されない理由

ふじい りょう(Parsley)

2010年10月13日18時50分

 昨日はライブドアBLOGOSの対談番組、「世代間格差〜若者は犠牲者!? 老人天国ニッポン〜」を聴いていた。

 しかし、内容がほとんど床屋政談レベルでちょっと呆れた。出演されていた城繁幸氏・高橋亮平氏・小黒一正氏のご著書『世代間格差ってなんだ』は入手して拝読しようかな、と思っていただけに、その気持ちがくじけちゃいましたよ。

 まぁ、内容はさておき。USTで約600人、ニコニコ生放送で約300人という視聴数というのは、厳しい数字だなぁ、と感じざるを得ないと同時に、「そんなもんだよね」と納得できる数字でもある。
 若者の間でも、彼らの問題にしている「世代間格差」がなかなか認識されないのには、主に2つ理由がある。

 ひとつは、20〜30歳台は「世代間格差」の当事者でもあるが、「世代内格差」も相当あるということ。ちょっと古いデータだが、2008年9月のビジネスアスキーの記事によれば、年収で最高額2800万円の人もいれば、200〜400万円のワーキングプア層も約20%いる。この調査は正社員のみなので、派遣社員・パート・アルバイトや、私のような零細ライターは含まれていない。実質はもっと差があると考えるべきだ。
 で、城繁幸氏のような本を何冊も出版するような方は当然ながら、世代内でも上辺の収入があるわけで。そういった人がいくら上の世代が「逃げ切れる」ということを強調しても、日々の生活に追われているワーキングプア層には響かない。そこまで、20〜30歳台の多くは疲弊している。ついでにいえば、私Parsleyもずーっと仕事が見つからず疲弊している。

 「世代間格差」の問題自体は「年金保険料納付額に対する受給額」ひとつとっても70歳代と30歳代で数千万円の差が出てくるという解かりやすい数字が出ている。池田信夫氏は、放送でしきりに「この問題は難しいんですよ」と述べていたが、「老人が若者を搾取している」という構造は、多くの若年層には、ほとんど皮膚感覚で認識されていることなんじゃないかな、と個人的には感じている。
 では、なぜ「世代間格差」問題がそれほど大きな「声」にならないのかといえば、この問題を声高に唱える識者の方々が、有効な処方箋を提示出来ていないこと、これが大きいのではないかと考える。世代間格差がある、その通り! では、どうすればいいの? 「……」では、一部識者の著書が売れるということ以外に社会的なインパクトは与えられないだろう。
 放送内では「持続可能な社会制度設計」ということがしきりと議題に上がっていたが、「姥捨て山復活!」といった剣呑な方法ではない、もっと実現可能性の高い穏便な解決方法を提示出来ていない、という印象を受ける。
 もっといえば、この問題に関わる方々のほとんどが、「アクティビリスト」ではない、というのも大きいんじゃないのかしら。結局のところ、問題自体を解決するパワーが実際にない、というのでは、それが渦になっていく方向にはならないよね。

 まぁ、「明日のことはわからないから、今日のこと」といった発想に若年層が引きずられるのも無理はないなぁ、というか自分がそうだし。結局国や政治社会のことよりも、自分のこと。少なくとも、こういった放送を見るよりも、サッカーの日韓戦を観て盛り上がる方が正しい。
 
 というわけで、すごーく残念な内容の放送だし、私のような30代木っ端ブロガーの置かれた状況厳しいなぁ、と再認識させられた放送でした。

前特捜部長ら拘置延長、供述調書1通も作成されず

団藤保晴

2010年10月13日18時38分

 大阪地検特捜部の証拠改ざん・犯人隠避事件で拘置されている前特捜部長・大坪弘道(57)と元副部長・佐賀元明(49)両容疑者が拘置延長を不服とした準抗告について、読売新聞が《「いたずらに身体拘束」…犯人隠避、前特捜部長ら準抗告で検察批判》と伝えました。最高検からのリークが連日、マスメディアで大きく扱われる中で世間の心証は有罪に振れており、検察捜査の在り方に慎重であるべき事件だけに是非とも必要な記事でした。

 「2人は最高検の調べに、故意の改ざんと伝えられたことを否定している。供述調書は1通も作成されていないという」「大坪容疑者の準抗告申立書では『逮捕前に参考人として長時間の取り調べを受け、自白するよう強く誘導された。これまでに自らが認識している事実をほぼ供述しているので、強要されない限り、新たな供述は生まれない。自供に追い込むためにいたずらに身体拘束しているに過ぎない』などと批判している」

 まさしく従来型の思いこみ検察捜査が密室で進められているのです。村木事件でこれが駄目だったのだとの認識が、まだ最高検に出来ていないことが不思議です。自分の見立て通りで最後まで突っ走る捜査は止めていただかなければなりません。今回、取り調べ状況の可視化が要請されたのに拒んだので、それなりに配慮しているのかと思いましたが、やっぱりでしたか。

 もう一度、申し上げて置かねばなりません。「逮捕の特捜幹部は最高検の見立ては間違っていると全面的に争う姿勢だといいます。マスメディアの報道も従来の検察報道パターンと変わっておらず、冤罪の可能性を担保する姿勢が希薄です。全体の構図がとても歪んでいて、奇妙だと思います」(第221回「信頼が無い最高検が特捜幹部を逮捕しても」から)

『八ッ場ダム』徹底検証を自主制作で企画中

保坂展人

2010年10月13日18時25分


八ッ場ダムのダムサイト建設予定地に勢いよく注ぐ滝(9月29日)

 1年前には、「八ッ場ダム」は集中豪雨的に語られた。政権交代後の「公共事業見直し」のマニフェストのシンボルとして扱われ、危機感を持った旧与党(自民・公明)の推進側も、下流の都県知事を巻き込んで、「断固推進すべし」との大合唱をした。そして今、1年前の喧騒がウソのように忘れ去られ、ダム関連工事が進んでいる。「政権交代から1年」を検証するには、八ッ場ダムこそ避けては通れないテーマである。

 熱しやすく冷めやすいという言葉がぴったりで、「あれ、どうなっているんだっけ」という言葉が、メディア関係者や政治の場でもこんな言葉が返ってくる。多くの人が「止まったのではないか」と勝手に思い込んでいる。しかし、現地に行ってみると「八ッ場ダム本体事業中止」をめぐる報道騒ぎがウソのように、「生活関連工事」と称してダム建設を前提とした道路や鉄道の付け替え工事や、水没予定地に居住する住民の代替地の建設が止まらずに進んでいる。 

 私にはほろ苦い思いがある。1年前まで、民主党や国民新党・共産党、無所属の議員と「公共事業地チェック議員の会」の事務局長として、八ッ場ダム問題にも取り組んできた。国土交通省予算で4600億円という大型公共事業の横綱として、「八ッ場ダム」は推進側からも、反対側からも、ひとつの象徴的な事業だった。

 ダム工事を中止するのであれば、政権交代直後に次々と手を打っていく必要があったが、地元自治体や住民からの「拒否反応」に立ち往生。本来なら、ダムに頼ることのなく地域と暮らしを再建する「生活再建法案」が早期に提出されるべきだったが、有識者会議が検討するという時間のかかる話になった。そして、10月1日には、国土交通省関東地方整備局が関係自治体と「八ッ場ダム検証作業」を始めたが時期のメドは示されていない。国会内でも、動きがある。

〔引用開始〕
 八ッ場ダム・流転の行方:民主の国会議員有志、議連を発足へ/群馬

 ◇建設中止前提、生活再建案を提示

 八ッ場ダム問題の打開策を探るため、民主党の国会議員有志が議員連盟を発足させる方針を決めた。昨年のダム中止宣言以来、水没予定住民との間で着地点を見いだせない中、ダムが中止されても生活再建に支障が出ない解決策を提示するのが目的。19日に東京都内で設立総会を開く。

 議連の名称は「八ッ場ダム等の地元住民の生活再建を考える議員連盟」とし、会長には前衆院国土交通委員長の川内博史衆院議員(鹿児島1区)が就任予定。呼びかけ人には、同党の県選出国会議員6人を含む11人が名前を連ね、そのうちの一人、初鹿明博衆院議員(東京16区)は「地元の不安を取り除くためにも、党として生活再建案を示したい」と話した。

 今後、衆参の与党議員に広く参加を呼びかけ、現地視察や住民からの意見聴取を重ねる。設立総会では、水源開発問題全国連絡会共同代表の嶋津暉之(てるゆき)氏と、市民団体「八ッ場あしたの会」の渡辺洋子事務局長が現状報告を行う。【奥山はるな】

〔引用終了〕
 こうした民主党内の動きがどのように結実していくかにも注目したいが、現状がどうなっているのかを広く知ってもらい、議論に参加してもらう必要がある。今回は、既存メディアではなく自主制作という形で『八ッ場ダムはなぜ止まらないのか』と題した30分程度のドキュメンタリーをつくることで、問題提起をしていくことを計画した。

 ぜひ、御協力をいただきたい。民放テレビ番組にスポンサーが存在するように、制作費用はこの問題に関心のある個人・団体の事前予約と制作協力でまかないたいと考えている。この方式で軌道に乗れば、新たなメディアの伝達方式が生まれることになる。

企画内容は→「八ッ場ダムはなぜ止まらないのか

予約・申し込みフォーム

予算委員会の解説 その二

河野太郎

2010年10月13日17時34分

公務員制度改革は政権交代があったからといって、途中で改革の方向が変わってはいけないものだから、福田内閣の時に与野党で合意して基本法を制定した。

その基本法に基づいて、それぞれの法案を提出し、成立させることになっている。

この通常国会で、民主党は、あろうことかこの基本法を与党単独で強行的に改正しようとした。もちろん、廃案になったが。

そこで、菅総理に、与野党が合意して作った基本法を、与党だけで強引に改正しようなどとしないことの確約を求めるが、総理は、質問通告があったにもかかわらず、質問が理解できていないようだった。公務員制度改革には興味がないということだ。

政治主導確立法案にも大きな問題がある。この法案が成立すると、総理の下に官房長官、そして官房長官の下に官房副長官が一名増員され、そのうち1人が国家戦略局長になる。

そしてこの国家戦略局の所掌事務に、予算編成の基本方針の企画及び立案ならびに総合調整に関する事務が含まれる。

では、国家戦略担当大臣は?

自分自身も国家戦略担当大臣だった菅総理は、国家戦略局が立ち上がった後の組織図を見て、あれ、国家戦略担当大臣がのってないなあ!?

国家戦略局は位置づけられているが、国家戦略担当大臣は法律に位置づけられていない。だから欠陥法案なのだ。国家戦略担当大臣には国家戦略局長を指揮する権限も人事権もない。おかしいでしょ。

仙谷影の総理は、内閣官房に2人の大臣がいることはできないし云々と答弁するが、それは今までがそうなっていなかったというだけで、内閣法や内閣府の設置法等々も一緒に改正すれば、国家戦略担当大臣を組織的にも法的にも位置づけることは可能だ。

役人にしてみれば、権限も位置づけも曖昧な状態が一番望ましい。国家戦略担当大臣が無体なことを言えば、官房長官のところに助けてくださいと転がり込むのだ。

要するに、お役所の手のひらの上で転がされ、それはできませんと言われてああそうかとわかったふりをしているだけだ。政治主導が聞いてあきれる。

しかし、今回の予算委員会の質疑の最大のポイントは、最後の質問だった!!長ーい、導火線に火がついた。

最後の質問は「治水基準点である八斗島の基本高水を計算したモデルに使われた飽和雨量はどんな数字であったか、(19)58年、59年、82年、98年、それぞれについて教えてほしい。」

答弁は「31.77mm、65mm、115mm、125mm」。

これについてはまたゆっくり。